●更新日 05/25●

寿産院の嬰児達


市谷付近の怪談取材を終え事務所に戻る時のことだった。

その辺りは幕府と縁のある土地なので、特色のある怪談や心霊スポットが多い。
偶然入ったお寺の入り口に水子地蔵があった。
あまり霊感は感じないが、赤い帽子を被った三つの地蔵は目を引くのに充分だった。



住職がいたので色々と話を聞き、赤い地蔵の由来も聞いてみた。

すると
「外の地蔵は昔からあったものです。でもその下にはある事件で死んだ子供たちの遺骨が葬られていたのです。今はありませんが」

それは「寿産院事件」のことだった。

これは1948年1月に発覚した、助産婦・石川みゆきとその夫・石川猛及び助手・貴志正子による嬰児大量殺人事件。
寿産院は子育てが困難な人から養育費と嬰児を貰い、子供がほしい人に嬰児を譲って謝礼を得ていた。
1944年から4年間204人の嬰児をもらい受けたが、里親が見つからなかった103人の嬰児達を放置、酷寒と飢餓の中で死なせたという。
更に夫婦は配給品のミルクや砂糖、嬰児の葬式に配給されたお酒をヤミで売って儲けていた。

当時の新聞

殺された嬰児達は土の中にそのまま埋められていた為、遺骨がバラバラにならないよう土ごと骨壷の中に納めたそうだ。
今は無縁塔に移され合葬されているという。




現在、寿産院の跡地には別の建物が建てられているそうだ。
あの時の痕跡は今ほとんど残っていない。




残っているとしたら、寒気と空腹に苦しみ死んでいった嬰児達の無念だけだろう。
そのせいか昼間なのに、地蔵の周辺は陰湿な空気で満ち、なぜか耳鳴りがする。

地蔵に線香を捧げた後、デジカメで地蔵の写真を撮ろうとした。
するとその時、手に持っていたデジカメが、突然誰かに取り上げられたかのようにお寺の方へ放り出された。
少し破損してしまったが、幸い写真を撮るのに問題はなかった。



イタズラのような一瞬の出来事は、
嬰児が無念に囚われず自由に遊んでいる証拠だと良いのだが……。




天口&li.kouji


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