●更新日 05/01● 写真
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村一つ消滅した、女の呪い


「呪ってやる!」という言葉。

「死ね」という呪詛。

誰も一度は口にしたことあるでしょう。そして、幸いにも殆どが叶わない。

しかし、歴史の中には村一つ消滅させた呪いが有ったのは御存知でしょうか?

時は江戸時代、場所は今でいう徳島県で起きたこと。


お杉という女性がいました。お玉という3歳になる娘を連れて県南西部に位置する木沢村から保瀬部落に嫁いできましたが、部落の権力者である矢八が人妻であるお杉に邪恋を抱いたことが全ての始まりとなります。


お杉は必死に抵抗した結果、それに恨みを持った矢八が陰湿な虐めを開始。
それによって母子は蔑まれ、村八分にされて居所さえ無くなり、極限状態にまで追いつめられてしまいます。


娘のお玉を連れて海部川の河原に降り立ったお杉は、


『我死後50年にして、必ず保瀬を壊滅させる。そして100年は人の住めぬ土地にしてやる』


と呪いの言葉を榎の木に刻みました。
50年という期間を挟んだのは、夫に災いが及ぶのを避けたからです。

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一時間近くも祈り続け、お玉を白装束に着替えさせた後、持って来ていた畦切り用の鍬を振り上げ、お玉の頭にめがけて勢い良く振り下ろしました!


ぱっくりと割れた頭からは1メートル近く鮮血が吹き上げたと言います。
お杉はお玉の頭から吹き出した血を吸い、口いっぱいに含んで天に向かって吐き出しながら保瀬潰滅の為の呪文、即ち

『保瀬は野となれ、山となれ』

こう唱え続け、最後に一際大きく叫んで印を切ります。
お杉はお玉の遺体を抱いて頬ずりをし、『南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛』と念仏を唱えながら海部川の深淵へと身を投じました。


そして、お杉の予告通り丁度50年目に保瀬部落は潰滅! 100年を過ぎた現在でも人の住める場所ではなくなりました。


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保瀬大崩壊  1892年(明治25年)7月25日 午後2時00分
一大音響と共に海部川南岸の保瀬山の中腹が幅300メートル、長さ800メートルに渡り崩壊。北岸山麓にあった井上 幸太郎、井上 喜太郎、桜井 矢平の家族11名、投宿していた山稼人(出稼ぎの林業従事者)36名は家屋と共に生き埋めとなる。
田畑四町歩(約400アール)も埋没し、ここに川上村保瀬(現・海部郡海南町平井字保勢)の部落は一瞬にして消え去り徳島県史上、類を見ない程の大災害となった。
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現在でもこの場所は心霊現象・心霊の目撃談が止まることは無いと言います。

怖いのは、本当にこれは史実として起きたこと!


呪いなんて、ある訳がない。


呪いなんて、起きるわけがない。


しかし、時には鬼の域に入ってしまった“まじない”が事実として存在します。

“まじない”とは、漢字で書くと“呪い”



西垣 葵 西垣葵


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