●更新日 09/25●
耐震偽装と戊辰戦争
私こと山口敏太郎は、現場主義を仕事の基本にしている。経理と営業以外の社員たちには、それぞれ雑誌編集やシステム製作、所属タレントのマネージャーなどの顧客対応業務を担当させているのだが、机上の空論ではなく顧客との直接対応、現場の立会いを原則とするようにと厳命している。
特に我々のようなメディアの仕事をしていると、現場で仰天するような話と遭遇する事が多い。最近も妙な話と某町にてぶち当たってしまった。山口敏太郎事務所がある船橋市の隣町・市川市には、耐震偽装をやってしまった姉歯元建築士という人物がいる。彼の先祖が、東北戊辰戦争のきっかけを作ったという情報があるのだ。
話の詳細はこうである。1868年(慶応4年)3月、まさに戊辰戦争の真っ最中の頃、新政府軍の奥羽鎮撫総督であった九条道孝は、仙台藩ら奥羽諸藩に命令を飛ばした。
「朝敵である会津藩の成敗をせよ」
だが、奥羽諸藩は討伐命令の慣行を躊躇した。
既に経済破綻し、困窮する会津藩の藩士や領民を思うと、どうしても攻め込む事ができなかったのだ。
「どうにか、会津藩を救ってやろう」
閏4月11日、白石城に諸藩が参集し、善後策が練られ、「会津藩の謝罪嘆願書」を作成し、政府に提出した。
「こんな条件、呑めるわけがない」
この嘆願書を総督府参謀・世良修蔵は断固として拒否。それどころか大山格之助参謀に「奥羽諸藩は、皆、朝敵である」
という密書を送った。
この行為により、政府軍の世良は義憤にかられた仙台藩士・姉歯武之進・赤坂幸太夫らによって暗殺されてしまった。
結果、仙台藩・米沢藩・二本松藩などを中心に奥羽25藩に、長岡藩・新発田藩など北越7藩が加わり、奥羽越列藩同盟が成立し、明治政府軍と泥沼の激戦に突入していくのだ。
白虎隊墳墓の古い絵葉書(山口敏太郎タートルカンパニー所蔵)
“つまり、東北全部が戊辰戦争に巻き込まれたのは、姉歯という一人の武士がしでかした暗殺事件がきっかけだった”
この時、暗殺事件を起こした張本人・姉歯武之進の子孫(直系ではなく、同じ一族という表記が正しいかもしれない)が、耐震偽装事件の姉歯元建築士であるというのだ。不気味な話だが、同事件で騒がれたヒューザーの小嶋社長も姉歯武之進の近在の出身で、二人には奥羽越列藩同盟の血が流れている。
幕末の頃、姉歯武之進は、長州藩の世良修蔵を暗殺し、騒動が引き起こしているが、子孫の姉歯元建築士は、長州藩(山口県)出身の安倍政権を退陣させ、耐震偽装という現代の騒乱を引き起こしているのだ。
なんと不気味な話であろうか。
―――因縁は巡るのだ。
山口敏太郎
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