●更新日 11/30●


「南極物語」タロとジロにまつわる話


昭和34年、南極に置き去りにされていた樺太犬、タロとジロが無事連れ帰られたというニュースがあった。
日本中を感動に巻き込んだ奇跡の物語だ。

昭和31年11月、第1次南極観測隊隊員総勢53名はタロ、ジロを含む22頭の樺太犬を乗せ、南極観測船「宗谷」で南極へ向かう。
病気などで日本へ帰すことになった3匹を除いた残りの犬が、第1次越冬隊において、犬ぞり曳きなどに使われた。
この間、越冬中に2匹が病死、1頭が行方不明となる。
また雌のシロ子は8頭の仔を産んだ。
昭和33年2月、天候の悪化のため、第2次越冬隊が昭和基地に着くことができなくなる事態が起きた。
そのため第1次隊員は小型雪上機で宗谷に帰還することになる。
この時、タロとジロはじめ犬たちまで連れ帰ることができず、やむなく基地に首輪を繋がれたまま放置することになった。
そして1年後、第3次観測隊が南極の地へ足を踏み入れた際、たった2匹だけ、タロとジロの生存が確認されたのだ。

この感動の物語は昭和58年に「南極物語」のタイトルで映画化され、当時の文部省特選にもなって大ヒットした。
過酷な南極の地で1年もの歳月をのりこえ、再び日本へもどってきたタロとジロの話は、約50年経った現在でも忘れ去られることはない。 
やむをえず置き去りにして行った人間の苦悩と、犬たちの生命力の強さが生んだ感動の物語だ。

しかしこの話には様々な秘話が隠されている。
例えば、映画では1年後の再会場面で、タロとジロはガリガリに痩せていたことになっていたが
当時の記録によると、犬係であった隊員も一目見ただけではどの犬かわからないほどに2匹は太っていたのだという。
この時、15匹の犬の名を挙げていき、犬が尻尾を振ったのがタロとジロの時だった為、タロとジロだということが判明したそうだ。
なんと2匹は一年の間に南極大陸の自然に馴染み、ペンギンやアザラシを捕食して生き延びていたようだという。
昭和33年6月には、南極に残された犬達の慰霊の為、群像が作られた。
この除幕式の際に、観測隊の方が弔辞を述べてから、犬の名前を一匹ずつ挙げていった。
この時、ある2匹の犬の名前だけどうしても思い出すことが出来なかったという。
その犬の名が、タロとジロだったという話である。

当時でも、どんな原因にせよ、人間の都合で南極に連れて行った犬を基地に首輪を繋いだまま置き去りにしたことは許されるべきではない、という批判の声はあったようだ。
そのような感情論以外にも、別の方面からも批判があがったそうだ。
一部の学者によると、そのまま犬を南極に置き去りにし続けていたら、ペンギンやアザラシなどを捕食し続けて南極大陸の生態系が乱れてしまった可能性が十分にあるという。
それだけ犬たちの適応力、生命力は凄まじいものがあるということか。
感動秘話の裏にも、様々なエピソードが隠されている。

山口敏太郎「怖くて眠れない!最恐ケータイ都市伝説」
山口敏太郎著「怖くて眠れない!最恐ケータイ都市伝説」


山口敏太郎



◇上記のタグを自分のサイトに張ってリンクしよう!


探偵ファイルのトップへ戻る

前の記事
今月のインデックス