ようやく、「中村家」の入口と思われるドアへ辿りつく。
ドアといっても玄関という雰囲気ではなく、勝手口といった感じである。でも他に玄関らしき所も見当たらない為そのドアへと近づく。そのドアには「井上靖ようこそ」の落書きが・・・。意外にも文学好きの侵入者の様である。
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それに構わず宅内へ入るとそこは土間になったおり、作業場か何かのようにみえる。言い伝えによるとここで老女が殺されたという。
何の舗装もされていない剥き出しの土の上に事務机、耕運機、資材、ロッカーなどが至る所に放置されている。奥には鉄骨で出来た赤い階段とドアが開いたままの和式便所が見える。
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右側の壁は一面シャッター。引出しが全て引き出された状態の事務机の上にはなぜか大量の20角タイル。窓が多いので室内は割合明るく、その事に励まされて恐怖心より好奇心が勝ってくる。机、ロッカーなどの中を確認するが、中はからっぽであった。
入口ドアから入って左側の部屋へと進む。いや、進もうとしたがこっちの部屋は床が全て抜け落ち、基礎が露わになっていた。ひとまず、部屋入口に隣接している洗面所、風呂場を確認する。浴槽はタイル張りのとても小さなものであり、時代を感じさせる。年月を経ているせいか生活感は感じられないが、風呂場・洗面所の存在はやはり、以前に誰かがここで暮らしていたという証拠であり、薄ら寒い思いに襲われた。洗面所を後にすると気合を入れて崩れかけた基礎木材に足を乗せゆっくりと奥に進む。
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部屋の入口に押入があるが、中は空っぽである。
この部屋では少女が殺されたと伝えられている。今現在ではもちろん痕跡などは何も残っていない。ここで妙な違和感を覚え、改めて辺りを確認するとその原因に気付いた。この家は一般の住宅とは異なった構造をしているのだ。窓の向こうに部屋が見える。部屋と部屋の間に窓があるのだ。それも一箇所では無く至るところに窓がある。壁という壁全てに開口部が設けられてある為、不思議なくらいこの廃墟には光が差し込んでいる。前述の階段にしても、一般住宅とは思えない鉄骨剥き出しの階段である。家自体も木造ではなく鉄骨造のようである。窓の向こうに見える部屋にはここからは行けないようである。後で改めて別の入口を捜す事にした。
不思議に思いながらも二階へと進む事にした。赤い鉄骨の階段は年月を経ているにも関わらず依然変わらぬ強度を保っており、二階へと危なげなく進んだ。
二階に上がると土壁に囲まれた廊下には放置されたままの腐った畳で小高い丘が出来ていた。その向こうには一階に比べてかなり原型を留めた部屋が並んでいる。
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まず、中年男性が殺されたという(階段を上がって)左側の部屋へ進む。鍵を掛けられた状態で開いたままのドアを越えるとそこには比較的明るく白い空間が広がっていた。部屋というよりは病室といった印象を受けるコンクリート打ちっぱなしの白い壁に白い床。室内四面全ての壁に配置された窓のガラスは全て割れ落ち、ただの開口部と化し充分過ぎる程の光を室内に招き入れている。
窓が配置された白壁の全てには暴走族の自己主張を示す様々な落書き。家具などは一切残されておらず、床には侵入者が残していったタバコの吸殻、空き箱、アルコール飲料の殻、心霊写真でも撮ろうとしたのか使い捨てカメラやポラロイドフィルムの外装まで落ちている。
天井は抜けて所々屋根裏がのぞいている。屋根裏から視線を感じ、何度ものぞきこんでみたがそこには何も無かった。
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続いて中央の部屋へ進む。ここは畳敷きの和室であったと思われるが、畳は既に腐りきって部屋の中央部や廊下へ重ねられている。土壁にはやはりスプレーで落書きされている。
そのまま畳を乗り越え、抜けそうな床の上を慎重に歩いて次の部屋へと進むとその部屋もやはり落書きで埋め尽くされた土壁に囲まれ、押入だけが暗く口を開けていた。押入の中にも生活用品などは残されていない。
何も物証が出ない事に少し落胆しつつ、残りの洗面所と便所を確認する。便器は落ちて床に転がっており、もう何年も使用されていないはずなのだが心なしか匂いが漂ってくるような気がした。
改めて一階に降りて、別の入口を捜す事にした。
家の外へ出ると、未だ「中村家」の庭にいるにも関わらず、緊張が解けるのがわかった。遠くから聞こえてくる車の走行音が心強い。気を取りなおして調査を続行する。
先程侵入したドアを越え、藪の中を更に家の裏側へと進むと先程一階の宅内から確認した窓の向こうの部屋への入口が現れた。
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その部屋には床一面資材類が散乱しており、まさに足の踏み場も無い。その為資材の上を歩いて奥へと向かう。その中に雨で濡れ固まった漫画本が落ちていた。侵入者が残したものなのか、それとも前の住人の遺物であろうか。
天井からはまるで暖簾か何かの様に天井材の木皮が垂れ下がり視界を遮る。事務机や棚、事務椅子などが無造作に置かれている。ここも事務所か作業場として使われていたようである。
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宅内の探索を終えて、最初入った入口ドア前の倉庫のような所を調べる。そこも資材などが大量に置かれており、あまり生活感は感じられない。
敷地内を全て探索し終え、調査を終了して門から出ようとした所、門の脇に古ぼけた赤い郵便受けが落ちているのを見つけた。郵便受の中には何も入っていない。そしてその郵便受には「東洋製作所」の文字。やはりこの廃屋は以前に工務所として使われていた事があるのだ。
潜入調査を終了し、今後は資料調査へ移行する事とした。
※尚、事前情報にあった峠の頂上にあるという「真の廃屋」についても確認を行ったがそこは既に業者の資材置き場となっており、何の痕跡も残っていなかった。
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[ 資料調査 ]
郵便受に明記されていた、前の居住者と思われる「東洋製作所」について調べたところ、同社は20年以上前に既に倒産している事が判明した。尚、事業主の名前は「中村」ではなかった。
「東洋製作所」の前の居住者が「中村家」という事も考えられるが、それについては
続いて昭和41年9月以降の中国新聞過去記事を検索し、己斐峠にまつわる事件・事故の有無確認作業を行った。
その結果・・・あの廃屋で一家惨殺事件があったという事実は無かった。だが、己斐峠近辺での婦女暴行事件や自殺、土砂崩れによる作業員の死亡事故、死体遺棄などの報道は確かに数多くされており、陰鬱な雰囲気の漂う土地柄である事は確かだ。
[ 資料1 ]
己斐峠廃屋平面図
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[ 資料2 ]
己斐峠に関する過去記事
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[ 資料3 ]
峠の地蔵尊
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国泰寺
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[ 調査所見 ]
この調査は潜入・資料の2方向からすすめたのだが、予想以上に困難を極めた。廃屋に関しての噂が古くから広く伝わっている割に具体的な事は明らかになっていないのだ。潜入調査でも年月を余りに経ているため、数多くの侵入者によって見る影も無く荒らされた室内。物証などは残されていない。生い茂った藪のせいで室内でも蚊が縦横無尽に飛びまわっており、気を抜くとすぐに刺されみるみる腫れ上がる。思わぬ伏兵の出現に悩まされた。
資料に関しても事件が起こったとされる年代がはっきりしない為、膨大な資料を手作業で一つ一つ確認していった。
当社としては、一家惨殺に関する事実確認がとれなかった為、広く流れている廃屋に関しての噂に関して肯定する事はできないのだが、現像からあがってきた写真を見ると思いもよらない現象に驚かされた。
当日、一眼レフカメラ2台を使っての撮影を行ったのだが、全ての写真の下側に黒い影がはっきりと写りこんでいるのだ。カメラとフィルムを交換した後撮影した写真にも同じ様な影が写りこんでいる。一眼レフカメラはファインダーから見えた状態がそのまま撮影される為、撮影時にこのような影などが見えればすぐに気付くはずなのだ。
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黒い影が写りこんでいる・・・ |
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翌日、改めて現場に向かい、更に別のカメラでの撮影を行った。その際撮影した写真36枚の中にも一枚だけ、同じ様に下側に黒い影が写りこんだ写真があった。科学的には理解しがたい結果だ。
よって、「中村家」に関しては・・・一家惨殺伝説の真偽については否とするが、ただの廃屋といいきってしまう事はできない。
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