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お玉が池には由来がある。時に元禄15年(1702年)閏(うるう)4月27日。伊豆大瀬村(南伊豆)太郎兵衛の娘、お玉は箱根関所破りの罪で処刑された。
お玉は、奉公先(いとこの家で、正月に上がったばかり)の江戸新田嶋から国元に帰る途中、手形がないので、箱根関所を通る事ができず、裏山を通り抜けようとしたのだ。
役人に捕まったのが2月10日の夜の事。
処刑された後、お玉の首は那津奈ヶ池で洗われた。
村人たちは死罪になったお玉の霊を哀れみ、いつの頃からか那津奈ヶ池は『お玉ヶ池』、処刑された坂は『お玉ヶ坂』と呼ばれるようになったという。
小田原市内在住O氏から聞いた話である。
今から10年以上前、男友達と2人で車に乗り、街を流し繁華街で女2人組みをいつものようにナンパ。どこに行こうかと考えた末、いたずら気分で幽霊ポイントとして名高い箱根のお玉ヶ池に行こうという事になったという。
女の子の一人がすごく「霊感が強い」らしく、そのポイントに行きたくないと渋ったそうだが後の3人は、大いに盛り上がり結局は行く事になった。
真夜中にお玉ヶ池に到着し、ライトを消しエンジンを止めると他に車もなく、ほんとうに静かな暗闇の世界だったという。
辺りの雰囲気に呑まれ互いに小声で会話をしていた時、霊感の強い女の子の様子が明らかに変わった。急に後ろ髪を強く縛った様に目がつりあがり、声も先ほどとは、まるで別人、うめき声を上げ始めたのである。
もう一人の女の子が
「車を出して」
と叫んだため、我にかえり急いで山道を下り、夢中で町の明かりを目指した。
幸いにして、しばらくすると憑かれたようだった女の子も平常な様子を取り戻した。落ち着いた彼女に何があったのか、聞いてみた。
彼女は池の中央あたりに
「白っぽい着物の女性がぼんやり見えてきたの」
と話出した。
「ヤバイと感じたんだけど、その着物の女性と目が合ってしまった、その瞬間から何も覚えてない。気が付いたら小田原市内へ戻っていたし。憑依されたのかもしれない」
という。
今となっては笑い話だが、それでもあの豹変した様子は一生忘れられないとO氏は言った。
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