FC 福岡第二
植木インターを降り、国道3号線を山鹿方面へ車で走ること10分。私達は右手にある大衆食堂に車を駐車し、徒歩で病院へ向かった。
ラブホテル『アイランド』を通り抜け、病院へ続く細い獣道を登る。途中『岸警察犬訓練場』があり、私達のような見慣れぬ侵入者に対して、いかつい犬達が警戒して吠える。8分程歩くと、病院が見えた。
この病院が閉鎖された時期は定かではないが、関係者の自殺や老人患者の孤独死が多発 したために閉鎖になったと言われている。
閉鎖後「院内で白衣姿の看護婦が目撃される」などといった心霊現象が絶えないという。また、院内に何かを忘れたり、院内の物を何か持ち帰えったりすると「忘れ物取りに来てよ・・・」「返してよ・・・」といった電話がかかって来るということだ。そういった情報を元に、私達は調査を開始した。
病院の敷地内に入った途端、突然私達の真上をカラスの大群がけたたましい鳴き声と共に通過していった。これから何か恐ろしい事が起こる暗示であろうか・・・。
正面出入り口より院内に入ると、壁一面に広がったスプレーによる落書きに、まず驚かされる。院内は薄暗く非常にひんやりとしており、男性調査員でさえなかなか前に進む事が出来ない。歩く度に響く「ミシッ」という音がなんとも不気味である。
地下には霊安室があるとの情報があったので院内を隈なく探したが、地下に繋がる階段などは見当たらず、エレベーターのボタンも1階までしかない。
1階の一番右奥の部屋の扉が頑丈な鉄で出来ており、「関係者以外出入り禁止」と書かれている。扉を開けると真っ暗で窓さえない事から、この部屋が霊安室では・・・と、私達は生唾を飲んだ。
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↑手術室跡。暗い1階でここだけ光が‥。 (クリックすると拡大画像) |
階段で2階へ上がる。窓から日光が差し込んでおり、1階に比べるとかなり明るい。畳張りの部屋が幾つかあるのは、やはり老人病院であるからだろうか。窓にカーテンがかかったままの部屋もあり、白いカーテンが風でゆらゆらと揺れ、なんとも恐ろしい。
撮影を終え、男性調査員が床に転がっている病院の機材の部品をポケットにしまい込み、そのまま私達は恐る恐る病院を後にした。
院内2階。1階よりは明るい雰囲気だが物は散乱している。
最後に・・・
院内において人影などの心霊現象は確認出来なかったものの、霊安室と手術室に入ると極度の寒気を感じた。建物自体が鉄筋でしっかりと残っているので当時の様子を彷彿として大変恐怖心をそそる。
昼間であるのに薄暗く、奥行きの長い廊下は木々に覆われ真っ暗であり、本当に恐ろしい。院内に散乱する落書きの日付や、床に転がっている缶ジュースのパッケージと賞味期限、機材の製造年月日から、この病院が閉鎖されたのは昭和50年代ではないかと推測できる。
現在に至ってもこの病院が残されているのは、「や○ざ」が土地を買い取り、物珍しがって院内に侵入した者に対して不法侵入だと因縁をつける為だと噂されている。
さて、院内の部品を男性調査員が持ち帰ったその後であるが、それから5日目・・・恐れていた電話はないようであった。ただ、彼のアパートの固定電話に、2日間連続で無言の留守電メッセージが入っていた。まさか・・・と期待し、そして恐怖を感じたが、現在に至っても真実は謎に包まれたままである。
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