呪いの足封じ


FC 京都東

夜毎届く紙草履は誰の怨念か?
民家の玄関先に、新品の草履が一晩おきに置かれていた。
和服地の鼻緒のついた紙製で丹念な作り。
いったい誰が、何のために・・・。


山科区東部の四ノ宮に《小金塚》という地域がある。
ぎっしりと立ち並ぶ団地の、ほぼ中央に住むA子さんは、ある日の朝、玄関先に紙でこしらえた草履がぽつんと置いてあるのを見つけた。

「なんだろう」と思ったが、さして気にせずに放っておくと、二日後の朝、また新しい紙草履が置いてあった。
以降、一日おきに草履の数が増え続け、とうとう十足になった。
そのときには、すげ替え用の鼻緒と布の切れ端が添えられていた。

いったい誰が何のためにこんなことを、と薄気味悪くなり、近所の人に話をすると他の家の玄関先にも、同じ紙草履が置かれていることがわかった。
草履は段ボール二枚で足型が作られ、米袋に使う厚紙や、銀ラメ紙で覆われている。
丹念に手縫いされていることから、年配の婦人の仕業のようにも思える。
念のために土地の古老に草履を見せると、老人の顔色が急に変わった。

「足封じや・・・」

紙草履の意味は、呪いの足封じだという。

「呪う相手がどこにも逃げられんようにするためのまじないなんや。まさか、すげ替え用の鼻緒は置いてなかったやろな?」

A子さんがおそるおそる「置いてあった」というと、老人は話を続けた。

「怨みが晴らせんとき、鼻緒をすげ替えると効き目がある。そんな言い伝えや。いまどきなんでこないなことを・・・」

「あんまりやわ。よそさまの怨みをかうようなことはこれっぽっちもしてません」

そういってA子さんは肩を落とした。


この事件は山科警察署の知るところとなり、それなりに問題視された。
警察が動くかもしれないということで、事件は新聞や週刊誌も報道した。
しかし、結局誰に聞いても、思い当たるような人物は浮かんでこず、犯人の手がかりはつかめなかった。


当時のことを知る人がいないかと聞き込みを開始。その結果、3人の証言を得ることができた。


「あの当時の事は、今も時々思い出すけど、ほんまに無気味やった。最初は私も単なるいたずらやと思って気にせんかったのですが、何日か続くと本当に気味が悪くて、町内で見回りをしたりもしたのですが、まったくわからんかった。なんか人の仕業やないような気がする・・・・」

(当時同じように被害を受けた主婦)


「当時はまだ子供で、皆がなんか騒いでいた位の記憶ですがそれでも『暗くなってから外へ出たらあかん』と言われて、なんとなく気持ちわるて、夜寝るときは怖くてどきどきしてたのを覚えています」 」

(当時同じように被害を受けた家の子供)


もう少し詳細が聞きたいから両親に会えないかと聞いたが、父親は2年前に亡くなったが、母親ならいるということで、話を聞くことができた。

「あれは本当に気味がわるかった。近所にはそんなことをするような人は、どない考えてもおらんし、あの時は『なんかの祟り違うか?』言う人もいて、本当に悪いことがおきるような気がしてそれが怖かった」

(当時同じように被害を受けた家の母親)


それから母親は少し考えるように間をおいてから、こんな証言をした。

「これはあの(事件の)後、人から聞いた話やが、あの頃はこの辺もまだ山やら畑やらで、山の麓にある小さな畑を1人暮らしのおばあさんがよう耕してはったらしいんやが、いつのまにやら住宅にするいうんで、ぜんぶブルトーザーでつぶしたんですわ。
『あのおばあさん、引っ越したいう話も聞かんし、どないしてはんのやろ・・・』
そないゆうてはったのが妙に気になったのを覚えてます」


その「おばあさん」の存在が妙に気になり、その線から再度聞き込みをすると、団地から少し離れた四ノ宮に住む老人がこんな話をしてくれた。

「そのおばあさんの事は一時噂になったんですわ。実は3年程前に、2〜3回団地のはずれで見かけたんで、『あのおばあさん一体どこに住んでんのやろ』ゆうて話してた事があるんです。つい1年位前にも見かけたゆう人がおるんですが・・・」

当時を含めて、「おばあさん」の事を知っている人は何人かいるのだが、不思議な事に、どこに住んでいるのか(住んでいたのか)を知る人は誰もいなかった。