国立感染症研究所


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《国立感染症研究所の噂》

国立感染症研究所は昭和22年に厚生行政に直結する総合医学研究機関「予防衛生研究所」として、港区白金台の「東京大学付属伝染病研究所」(現「東大医科学研究所」)庁舎内に設置された。

昭和30年に品川区上大崎(旧海軍大学校跡地)に移転し、平成4年に「国立健康・栄養研究所」「国立病院管理研究所」と合同の「厚生省戸山研究庁舎」を新宿区戸山(旧陸軍軍医学校跡地)に建設・移転した。平成9年に現在の名称「国立感染症研究所」に改名し、現在に至っている。

同研究所では感染症および免疫機構が関与する難病に関する研究を行っているが、そのために実験動物を多数使用する。

夜、「国立感染症研究所」(以下「感染研」)の建物の中を白い影が通り過ぎる。
昔、何百体もの人骨が発見された。その人骨は関東軍第七三一部隊(通称石井部隊)による人体実験の犠牲者のものである。
「感染研」および同じ敷地内の「国立健康・栄養研究所」の研究員が、何人か変死している。
「感染研」の前所在地(東京都品川区上大崎2)は元海軍大学校跡地で、現在有名な心霊スポットになっている。
同研究所の前身が設置されていた「東京大学付属伝染病研究所」(東京都港区白金台4-6-1)も、心霊スポットと言われている。また、実験室から逃げ出した奇形のネズミが目撃されている。
同研究所に隣接する箱根山では、夜な夜な人間が泣き叫ぶ声(呻き声)がする。
同じく箱根山で、人魂が目撃されている。
20年以上前、箱根山が含まれる戸山公園公園の公衆トイレで首吊り自殺をした男性がいて、その幽霊が出る。
箱根山は、三つの神社に囲まれた結界(三社宮の結界)の中心に位置し、東京の中の『陰中の陽』に当る。




《現地調査》


七三一部隊は昭和7年、軍医石井四郎大佐を中心に、新宿区戸山の「陸軍軍医学校」内に防疫研究室として設置された。昭和11年「関東軍防疫部」として正規の部隊となり、同年より中国黒竜江省ハルビン郊外に細菌製造工場や実験室、特殊監獄をはじめとする実施研究施設を建設した。後、昭和15年に「関東軍防疫給水部」に改称。翌年、七三一部隊の部隊番号を持つようになる。

七三一部隊の表向きの看板は軍隊における防疫の研究であるが、その実態は細菌兵器の開発と実用化を目指す秘密機関であった。日本軍に捉えられた中国人、朝鮮人、ロシア人、モンゴル人らが人体実験の犠牲にされた。その数は少なくとも3000人に上ると言われている。

終戦後、七三一部隊の幹部らは官公庁・大学等に職を得たが、その中には「国立予防衛生研究所」(「感染研」の旧名称)の歴代所長、「東京大学付属伝染病研究所」所長も含まれている。さらに、現在「感染研」と合同庁舎を構えている「国立健康・栄養研究所」は、戦後、「陸軍軍医学校」の建物を使用していた。

 平成元年、「厚生省戸山研究庁舎」(「感染研」「健康・栄養研究所」「国立病院管理研究所」の合同庁舎)の建設現場で、頭蓋骨等を中心に大量の人骨が発見された。
区民らの訴えにより鑑定が行われ、発見された人骨は「複数の地域のモンゴロイド系人種が混在」「数は130体以上」「人工的な欠損の痕跡」等の結果が得られた。
また、平成12年には、東京都が「まだ掘り残しがある」事を認めている。

国立予防衛生研究所時代から感染研に勤務していた元職員から話を聞く。

「心霊?(笑)見た事ないよ! 白い影って……みんな白衣を着て歩いているんだから、当たり前だ」

「研究者が変死したって言っているのはW大学の教授でしょ。それは確かに何人か死んだ人はいるけれど、そんなのどこにだっている。だいたいね、戸山にしたって目黒(註:上大崎の旧海軍大学校跡地の事)にしたって、古い建物だから防空壕なんかが入り口塞いだだけで残っているから怖がる人が多いんだ」

「人骨が出たのは、昔、栄研(註:「国立栄養・健康研究所」の事)があったところの横。まだあるらしいけど、掘り返さなかったんだね。その上に建物建ててあるんでしょう。七三一部隊の関係者の話では、たくさん埋めたんだそうだよ」

幽霊は一笑に付されてしまったが、死体を埋めたのは事実らしい。しかも七三一部隊がらみだ。

感染研のある戸山公園は尾張藩の徳川光友が寛文年間(1661年〜1673年)に、箱根山を中心に東海道五十三次に似せて造った戸山荘庭園の名残。44万9000平方メートルに及ぶ広大な庭園で、その一角の高さ44.6メートルのお椀を伏せたような形の築山が現在の箱根山である。山の手線内で一番標高が高い。明治6年から終戦まで陸軍の施設があり、今も陸軍兵学校の記念碑が箱根山の麓に建っている。

次に箱根山の風水である。

風水という言葉は、晋の時代の中国の『蔵風得水』(風を引き入れて、こもりすぎず、散りすぎず、なお水を得る)という言葉が語源であると言われている。その基本的な考え方は、『陰陽五行説』という宇宙観に基づく。(陰と陽は互いに対極を成す要素で、互いに影響しあって宇宙を構成する。五行は木・火・土・金・水という五種類の要素で、相互の影響の具合でこの世の様々な現象が展開する)

江戸は、怪僧天海僧正が風水の知識を注ぎ込んだと言われる街であった。北西の鬼門には「上野寛永寺」(東京都台東区上野桜木1-14-11)、南西方位の裏鬼門には「目黒不動尊」(東京都目黒区下目黒3-20-26)。肝心な場所には天台宗の寺院が建立され、また江戸全体は『五行』を象徴する五色の不動明王で囲まれている。

その中でも、箱根山は皇居と共に特殊な位置を占めているという説がある。山手線・中央線のラインを陰陽道太極図に見立てると、箱根山は『陰中の陽』、皇居は『陽中の陰』に当るというのだ。

また、箱根山は「皆中稲荷神社」(東京都新宿区百人町2-11)、「八兵衛稲荷神社」(東京都新宿区若松町31)、「水稲荷神社」(東京都新宿区西早稲田3-5-43)の3カ所の神社に囲まれた『三社宮結界』によって封印された場所であるという説もある。三社の由緒は次の通り。

皆中稲荷神社:天文2年、付近の鉄砲百人組の与力の夢枕に立った稲荷様をお参りしたところ、射撃の腕が百発百中になった。

八兵衛稲荷神社:江戸時代、自らの失火で近所に迷惑をかけた事を悔いて、その後の一生を「火の用心」に捧げた町人八兵衛を祭った。

水稲荷神社:天慶4年、鎮守府将軍により勧請。元禄15年に霊水が湧き、眼病治療に霊験があったと伝えられる。消防関係者・水商売の人から特に参詣されてきた。

箱根山麓の木を拝んでいた男性は、
 「箱根山で心霊現象?聞いたこともないし、見たこともないです。結界の事も私には初耳ですね。ここは良い場所ですよ」

犬の散歩に来ていた中学生は
「ここ、骨が埋まっているって。友達が人魂を見たって言ってたけど。あと、うちのお父さんは二重カーブの所(註:箱根山と「感染研」の間にある道)で、急に対向車が現れて事故になりそうだった事がある。ちゃんと見て運転していたのに、全然カーブミラーに写らなかったんだって」

だそうである。最後に都内で心霊治療・除霊・占いを行っている霊能力者に、今回の調査についてのコメントをお願いした。

「戸山は、都内でもウルトラD級の心霊スポットです。いい加減な気持ちで近づくことは決してお勧めできません。10年程前、テレビ番組の取材で私も同行した事がありますが、その時もカメラが次々と壊れたのです」

「感染症研究所と箱根山とでは、霊が集まっているのは研究所の方です。明らかに空気が違いますね。ただ、箱根山には緑が多い事、水気が多い事から研究所の霊が移動しやすいのではないかと思います」

「元職員の人が全く霊を感じなかった事に関して、1つ理由が考えられます。コンピューターのある部屋にいたのではないでしょうか? (その通りであった)」

「霊は電磁力のようなものと考えてくれていいのですが、霊が集まるところには電波・水分という条件があるのです。コンピューターを置くような部屋は、電磁波はありますが乾燥している事が多いですから」

感染研を巡る因縁は想像以上に複雑なものであった。もちろん現在は人体実験の類をしているはずはないが、「感染研」の歴史には七三一部隊との関わりがある。

この土地は風水的に守られた場所であるようだが、この結界が崩れた時には一体何が起こるのか想像もつかない。P3レベルの病原体や放射能を扱っているからだ。