三ツ木交差点 |
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《現地調査》 幽霊を車に乗せたという谷内統介氏から話を聞くことができた。 昭和49年11月、東京都福生市内のダンスホールで遊んだ後、自家用車で家路についた谷内氏は午前1時30分頃、三ツ木交差点の手前にさしかかったところで若い女性が道端で左手を振っているのを見つけた。 周りは人通りのない寂しいところ。若い女性がどうしたのだろうと車を停めた谷内氏に、その女性は「所沢公園まで行って下さいますか」と頼んだ。 谷内氏は彼女を後部座席に乗せた。所沢街道を北上していると、女性は「あら、これタクシーじゃないんですね」とか細い声でささやいた。 所沢公園で女性を降ろし、谷内氏がUターンして戻ろうとすると「また、新青梅街道までお願いします」と女性が言う。谷内氏はおかしいと思いつつも、再び女性を乗せ新青梅街道方面へと向かった。 ところが同街道へ出た直後、ふとバックミラーを見るとさっきまで乗っていたはずの女性がいない。驚いて車を停め、慌てて車を降りたが、あたりには誰もいない。 谷内氏は帰宅するとすぐに、車に塩を振り掛けてお清めをしたが、一晩中、足が震えて仕方がなかったという 同じような体験をしたタクシー運転手の話も聞いた。 三ツ木交差点前のガソリンスタンドに「幽霊を乗せた」と、タクシー運転手が駆け込んできた。三ツ木交差点前で女性を乗せたが途中で消えてしまったのだという。 夜の10時頃から1時頃にかけて右手を水平に上げたままの姿で立っている女性の姿を見た人もいる。 三ツ木交差点における過去の事故を調査したところ、以下のことがわかった。 昭和49年5月23日、三ツ木交差点内で乗用車同士が出会い頭に衝突、22歳の女性が死亡している。 飲み屋の女将(22歳)が閉店後に常連客の男性にドライブに誘われ、飲酒運転のその男性の乗用車に乗った 三ツ木交差点へ赤信号を無視して入ったその車に直進してきた乗用車が衝突、女将は搬送先の病院で亡くなったという。 なお三ツ木交差点では昭和45年から50年の5年間で120件以上の交通事故が起こっている。 この性の事故後、霊の話が一気に広まった。当時は週末にもなると霊を見たいという人々がテント持参の泊り掛けで殺到。深夜でも渋滞が絶えなかったという。 事故現場のそばで営業しているガソリンスタンドの社長は、霊媒師を呼んで御祓いを頼み、お地蔵さまを建立した。今でも毎朝7時半に掃除とお参りを欠かさない。 人身事故は地蔵建立前の48年には5件、49年に7件あったが、建立後の50年、51年にはそれぞれ2件に減少。以来、お地蔵さまの霊験が知れ渡り、付近住民の参拝、お賽銭奉納共にひきもきらぬ毎日が訪れた。現在でも花や水やお賽銭が絶えることはない。 死亡した女性には息子は現在30歳前後。ガソリンスタンドの社員は20歳代後半の男性がお地蔵さまの前に7個の石を並べ参拝していたのを見たことがある。7個の石の意味は謎のままだ。 |
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