FC 東京山の手
《下谷神社裏の噂》
今から約1300(西暦730年)に建てられた「上野下谷神社」は、江戸庶民にとっては奉公先の日本橋から遊びのメッカ“浅草”に通じる道すがら、豪商達には妾の別宅がある鶯谷や日暮里への途中、武士にとっては神君家康公の墓代所『上野寛永寺』」に続く道筋として知られていた。
この一帯はビジネス街の日本橋の外れであり、門前町で賑わう浅草の外れという事もあり寂しい所で、江戸商人・江戸庶民の墓所でもあった。今でも数多くの寺社が残っている所でもある。
「明暦の大火」以後、江戸市内の寺社が数多く移転して来た。そのため、「仏壇通り」と言われる位、仏壇屋が数多く店を開いた場所である。
その一歩裏側は、お墓とお寺が続いていた。そんな状況から、行倒れや貧乏人、吉原から逃げて来て死んだ女性達が、寺へ投込まれ(投込み寺)弔ってもらえない人々が、この一帯には随分と多かったと言い伝えられている。
昼間は人が多く、江戸の寄席発祥の地でもあった。
下谷神社の裏側付近住宅地では、ここ20年間、首吊り自殺者が続出している。改築のために土を掘るとほとんどの所から人骨が出て来るらしい。また10年くらい前までは、よく人魂が目撃されていたといわれる。
《現場調査》
首吊り自殺の有無を調べると、たしかにたくさんの自殺があったようだ。
喫茶『美珈』で20年前、オーナーのお姉さんが、首吊り自殺により死亡。
保泉家では20年前、1年間に続けて3人の首吊り自殺者が出たことがある。また、この保泉家の隣家と裏の家でも2軒相次いで首吊り自殺者が出た。
保泉家の祖母も自分を癌だと思い込んで首吊り自殺をしている。
現在、息子さん夫婦(70代)が生活しているが、2人共病弱。
「たこ焼き屋」を営んでいた女性が突然首吊り自殺を図った。
不気味なほど多い自殺者だ。しかも全員が首吊り、というのも気味が悪い。次に人骨について調べてみた。
ピラミッドビルと呼ばれるビルの拡張工事で人骨が出た。その直後、社長が死亡。 実はこのビル、前にも入っていた会社が相次いで倒産している。
最初に入った玩具屋であったが、一家が次々と死亡し会社は倒産。次に入ったのは名古屋方面でかなり大きな靴屋だったが、倒産。
続いて現在の(株)ピラミッドが入ったが、数年前ビル裏道側を少し広げて会議室を作る事となり、ビル裏の道路を掘る事になった。
掘っている途中、新しい(ほとんど新品)掘削機にもかかわらず歯が折れて、その歯が当たった所から頭蓋骨が3つ出てきた。
頭蓋骨は、大人の物2つと子供の物が1つだったそうである。
きちんとお祓いをして建設したようだが、直後に社長が病死した。
2001年の春、個人宅をビルに建替える際、掘ったところから人骨が一体出ていている。現在のところ一家は、つつがなく暮らしているようだ。
この界隈、特に保泉家やピラミッドのある通りでは、まだまだ多くの「首吊り自殺」があったようである。
10年ほど前までは、よく人魂も目撃されていたという事であるが、やはり行倒れや吉原の女性など「投込み寺」へ捨てられた不幸な魂が、今も悲しみ苦しみながら、さ迷っているのだろうか?
ただ、“なぜ「首吊り自殺」なのか”という事に非常に疑問と関心が残るところである。
もう少し時間をかけ、地元の人に溶込む事でもっと詳しい事実が出てきそうであり、また霊媒師による降霊を行なう価値はあるのではないかと思う。
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