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小学校も卒業していない偉人たち -学歴社会を変えたい

日本は依然として「学歴」が「職業選択」や「社会的地位」に大きな影響を与える「学歴社会」です。特に中央省庁の意思決定に関わる幹部や大企業役員のデフォルトが旧帝大や早慶の出身者であるもんだから結果として高学歴の人が高い社会的地位に就くことになる。当然、所得も一般的に高い傾向があります。だけど、だからと言って高学歴の人のほうがそれ以外の人よりも、潜在能力・経験・実力・実行力において「優れている」と断じることができるかどうかというとかなりの疑問です。

特に近年、私には学歴では計りきれない能力や経験が重要に思えて仕方がありません。要は、日本が置かれているような不安定な安全保障環境や不確実な経済成長性を鑑みるに、既存の高学歴教育だけでは培えない経験や能力を持った人の「突破力」が社会に求められていると思うのです。だって、プロパー、エリート、既定路線と呼ばれる人たちはむしろ組織や制度を保守する側に回るのであって、間違ってもそれらを大改革する方向には走りませんから。

田中角栄はたびたび「小学校卒」であるといわれますが、彼が卒業したのは「中央工学校」であり厳密には「機関」であり小学校ではありません。つまり彼は小学校を卒業していません。ただしそんな評価基準は戦後の教育改革によって改められた単なる「制度」であり、角栄は「制度」では計り知れない独自の眼力や実行力を社会で身につけてきた人です。

松下幸之助もいわゆる現在の小学校に通ったのは9歳までですから厳密には小学校を卒業していません。しかし9歳から数々の奉公をするなかで「商いとは何か」という独自の哲学や社会貢献のあり方を身につけていった偉人です。

角栄や幸之助のような偉人たちの存在は学歴がすべてではないことを証明しているし、翻って偉業を成し遂げる人が「高学歴でない」ことも多いのが事実です。なぜなんでしょうか。

戦後の成長に大きく貢献してきたのは、強い行動力、意志、奇想天外なアイデア、そして目標に向かって努力を続け、生き様を見せることで周囲の人々を魅了する「リーダーシップ」だったのです。決して豊かな知識やインテリジェンスが社会を引っ張って来たわけではないのです。

裏を返せば、現在の日本は、学歴を追い求めた結果、「思い切ったことができない」「小さくまとまってしまう」人たちが社会の中枢にいすぎるようも感じます。学歴と「成功」は必ずしも比例するものではありませんし、むしろ自分の強みを理解し、それを磨き続けることに意義があるように思う昨今です。

自民党総裁選も、立憲民主党の代表選も、身近な上司も同僚も、学歴フィルターで見ることをもうやめて、「ニンゲン」で見ることにしませんか。そんな気がして、最近子どもたちにも「必ずしも4年で大学を卒業しなくていい。旅に出て来なさい」と勧めるようにしています。

 

 女探偵 堺浄(さかい・きよら)

政治家を経て、生成AIやITを駆使し過去の事件を分析する女探偵に。社会科学領域の研究者(慶應義塾大学大学院を経てPh.Dr.)でもある。掘り下げたいテーマは、女性はなぜ政治の世界で「お飾り」になるのか、日本の「タテ社会」と「ムラ社会」は不変なのか、内部告発は組織の不条理に抵抗する最終手段なのか。

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