サーカスの象は、たかだかヒモでつながれているだけなのに、なぜ逃げないのだろう?
それは仔象の時に鎖でつながれ、「逃げられない」ということが身にしみて分かっているからだ。そうやって成長すると、逃げられるだけの能力を身につけ、縛られているのが細いヒモであっても、逃げるなんてことは考えもしなくなる。
そういうものだ。
千葉の中学生監禁事件のさまざまな状況について、ネット上では、
「逃げられただろw」
という意見が散見される。しかし、この象の寓話から分かるように、彼女は「逃げられる」なんて思いつくようには育たなかった。そういう発想は、監禁初期の時点で容疑者が徹底的に潰したのだ。
では、なぜ今になって逃げられたのか。
わざわざ説明するまでもない。
「逃げられるかもしれない」ということを知ったからだ。人間は象とは違う。13歳の被害者には、13歳なりの世界しかない。容疑者から嘘を吹きこまれれば信じてしまう。そんな環境でも、人は少しずつ成長する。2年たてば15歳になる。まったく情報に触れないなら話は別だが、テレビやネットを見られるなら、同じ歳の子たちほどではないにしても、じわりじわりと心が成長する。
監禁された2年前と比べて、彼女はほんの少しだけ視界が広くなった。ただし、それは同年代の子の2年間とはまったく違う。針の穴から、箸で突いたくらいに広がった程度だろう。それでも、その開いた穴のギリギリのところに、
「お父さん、お母さんが捜してくれてる」
これが入った。届いた。伝わった。
だから、逃げた。
逃げよう。そう思えたのだ。
逃げられたはずの状況を列挙して、「なんで逃げなかったんだよ」と笑う人たちに言いたい。
「足に結ばれた糸ですら鎖に見える」
彼女は、そういう状況だったんだよ。
ヤブ