●更新日 06/13●
シリーズ震災から三カ月〜 あの日から3ヶ月・・・
体験したことのない震度7の揺れと10mを越える津波・・・あの日から、今日で3ヶ月が経ちました。石巻だけでも、死者4,521人。約3,000人の方が今なお行方不明です。3ヶ月目の朝は雨降り。天も震災で亡くなった方々を偲び涙を流したのかな? と、良い方向に考えてしまいます。
石巻も少しずつでは有りますが落ち着いてきました。私の自宅辺りはスーパーなども復旧開店し震災前と同じような日常生活を取り戻しつつあります。しかし、同じ石巻市街でも沿岸部は震災の爪痕が未だそのままの状態で、瓦礫や壊れた車が片付けられてなく、あらためて被害の大きさ・怖さが蘇ります。また、地震の時の地盤陥没による冠水被害を受けた地区は復旧作業が進まず、満潮時には海水が浸水してきます。
先日、石巻でも被害がひどかった南浜町という地区に行ってきました。
今回の津波で亡くなった叔父が住んでいた家に花でも供えて冥福を祈ってこようと思いましたが・・・辺り一面はほとんどの家が津波で流され瓦礫の山。目印となるものが何もなくなってしまったので、ここが叔父の家だと言う所は確認できませんでした。
僅か7ヶ月前の昨年11月に二男の結婚式に出席して喜んでくれた叔父が亡くなるなんて、本当に残念で悔しいです! まして、叔父の家は3人家族のうち息子二人(従兄弟)はまだ行方不明です。
今日(11日)の午後2時46分、震災の犠牲者の方々のご冥福を祈り石巻市全体で1分間の黙祷を捧げます。叔父と従兄弟の分も含め心からの黙祷を捧げたいと思います。
また、明日(12日)は奇しくも宮城県沖地震から33年目の県民防災の日! あの時の揺れも凄かったです。当時1才だった長男を家内がベビーベットから抱きかかえて避難しようとした矢先に、今まで長男が寝ていたベビーベットの上に大きな本箱ケースが倒れてきた・・まさに間一髪だった事を思い出します。
年月が過ぎて、その長男も今や34才になり2児の父親となった・・・天災は忘れた頃にやってくると言う諺がありますが、本当にその通りだと実感します。
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友人からこのメッセージと写真を頂いたとき、写真の三輪車は誰のモノなのか・・・三輪車に乗っていた子どもは無事だったのかと思うと涙が止まりませんでした!
幸い、友人の自宅は流されずに済みましたが、床上浸水により一ヶ月間の避難所生活を強いられました。今は、浸水した畳もフローリングに変え、元の生活に戻りつつありますが、何と言っても、今後必要なのはお金と仕事(収入)です。
全国から集まっているであろう多額の義援金も何処に行ったのやら・・・石巻地区でも、まだ少数の方にしか行き渡っていないと言います。被災地、被災者に必要なのは、今のことではなく、これからのことだと思います。
ガルエージェンシー仙台第一 嶺岸
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