●更新日 01/21●


犬の殺処分を批判した小嶺麗奈の主張は本当に正しいか


小嶺麗奈が2010年1月17日にブログにて、保健所に収容された犬の殺処分について持論を展開し、大きな反響を呼んでいる。



現状に問題を感じているという小嶺は、犬との交流を通じて得た経験を語り、介助犬の意義についても言及。犬の里親となる人が増えてくれることを希望し、首輪に連絡先を記すことを提唱した。この内容に対して、ネット上では賛否両論となり、膨大な意見が飛び交っている。そこで、当該のブログを生命倫理の研究者に見てもらい、話を聞いた。

まず、小嶺の主張には一定の意義があるが、同時に非常に危うい部分があるという。「犬には特別なテレパシーのような物があって人間の感情が分かるんです」、「介助犬の頭の良さや感情の察し方にはとても驚かされます」と小嶺は述べる。テレパシーの有無はともかく、犬の殺処分を許しがたい理由として、能力の高さを挙げている。






裏返せば、能力が高いか低いかということが、物事を判断する尺度になるということだ。哺乳類が保護に値する理由として動物愛護団体が挙げてきたのも、知能の高さや感情の豊かさだった。しかし、これを基準にすると、動物よりも知能が低い状態にある人間や、意識がないとされる人間はどうなのか、という問題が発生する。

実際、このような理屈によって、どの成長段階までならば胎児を殺しても問題にならないかという議論が、昔から続いてきたそうだ。また、こういった議論があることによって存在が否定されるという批判が、障害者の人々から提起されてきたという。そうであるならば、犬が優れた動物だという小嶺の主張は、どこまで説得力を持つだろうか。

また、小嶺に対して、「肉を食べるくせに」といった批判が数多く出ていることも奇妙だと、生命倫理の研究者は語る。肉食だろうと菜食だろうと、飼育するペットを安易に捨てることは正当でないという点には変わりないのであり、肉食を理由に小嶺を批判することは、話のすり替えである。

ところが、小嶺自身の主張の中にも、同様の誤りがある。「私はなるべくなら蚊も殺さないようにしています」というが、そのことは、ペットの飼育責任や里親制度の促進といった、本来提起しようとしたはずの問題とは無関係だ。小嶺は、この点に気づいていないようだ。

ちなみに、当該の更新内容は削除されてしまった。様々な批判を受けたとはいえ、重要な問題提起を含む内容であっただけに、残してほしかったと思う。



探偵T



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