●更新日 07/06●

我が子を探す母親


某県某町に残る防空壕跡。

住宅地から少し離れた公園にポツンと佇み、
半世紀以上が経った今尚、戦時中の悲惨さを伝えている。

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その防空壕の近くには、当時の戦争で亡くなった方々の
霊を鎮める為の慰霊碑が建立されている。

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ある夏の暑い日、その防空壕の話を聞いて肝試しの為に
他県から遠征に来ていた若者がここで他の仲間を待っていると、

「・・・どこ?

と、声が聞こえた気がした。

遅れてきた仲間が来たのかと思い「ここだっ!」と声を返すと、














「赤ちゃん・・・どこ?」
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血塗れの女性が、自分のお腹に空いた穴をまさぐりながら立っていた。

彼は悲鳴を上げ一目散に逃げたそうだが、
数日後、仲間の一人が地元の人間からこんな話を聞いた。




太平洋戦争の最中、日本各地が空襲された末期、空襲警報が鳴り響き
人々が防空壕に逃げ込む中、一人の女性が取り残された。

「入れて!」

彼女は必死に中に入ろうとしたが、不幸にも壕は満員で女性一人さえ入る余地はなく、
入り口で押し問答をしている内に、飛行機の爆音が近づいてきた。

「他に行けっ!!」

誰かがそう声を荒げてその女性を突き飛ばし、無情にも扉が閉じられた。

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ほぼ同時に飛行機が飛来し、機銃掃射を行った。

爆音が過ぎ去った後には、腹部に大きな穴が空いた女性の無残な姿が残されていた。

後日判明したことだが、遺族が言うには彼女は妊娠していたそうだ。

昭和19年8月の暑い日の事だった・・



銃弾によって潰され生まれる事の叶わなかった、
まだ見ぬ我が子を探して未だ彷徨っているのだろうか・・・



青島


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