●更新日 09/29●


エンタメのオカルトとガチンコのオカルト・前編





昭和の頃まで、俗にオカルトと呼ばれる分野は、ありもしない話をデッチあげたり、些細な出来事をオーバーに報道してみたり、こじつけて話を再構成し面白く報道するのが主流であった。

勿論、商業ベースである以上、大人の事情でその手の“演出”をやっているわけだが、表向き、プロ作家たちはフェイク(創作、演出)である事は認めなかった。
ファンやマニアが「この記事、ネタでしょ!」と指摘しても絶対に認めないし、
「いや、本当にあった事だよ」と最後まで事実だと抗弁する。

これが昭和のオカルト報道のスタイルであり、それはそれで、昭和の若者たちにとっては説得力があったし、支持もされた。
この伝統的なスタイルを今も守り続けているのが雑誌「ムー」である。
この雑誌は“徹底的に(真実としてムーに掲載された)オカルト記事を肯定する”のが特徴である。
平成時代と言えども、ビジネスとして考えると、このスタイルも悪くはないのだが、結果的に世紀末に多くのオカルト妄信者たちを生み出してしまった。
妄信者たちは(オカルト情報に対して)批判的精神を失ってしまい、悲劇的なオウム真理教事件へと繋がっていく。

この経過は、プロレス業界の変遷に酷似している。
新日本プロレスや全日本プロレスなど老舗のプロレス団体を、雑誌「ムー」に当てはめるとよく理解できるだろう。

“全てのプロレスは、暗黙の了解はあるものの、真剣勝負である”
という幻想を信じていたあの頃、オカルトもプロレスも 現実にはエンタメにも関わらず、一部のマニアたちの間では、リアルなものだと誤解されてきたのだ。

平成に入り、インターネットが普及してくると、海外の情報や事例に対して、簡単に裏がとれるようになった。今まで真実だと吹聴されてきたオカルト事件やUMA・UFO情報の綻びが見え始めたのだ。
言ってしまえば、“オカルトのリアリティの崩壊”である。

かつて、十数万部の部数を誇った「ムー」も、もはや実売部数は全盛期の半分もない。(取次ぎ関連のリアルな部数をここで客観的なデータとして披露してもいいが、武士の情けで出さない。寧ろ、週刊プロレスの部数低下の方が深刻である)

奇しくも、同時期にプロレス界もリアル格闘技の普及により、そのリアリティや最強伝説が崩壊している。プロレスとオカルトという“昭和の幻想”は、国際化社会・メディア社会、本物志向の到来により、もろくも崩壊したのだ。



山口敏太郎



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