●更新日 02/17●
実はお市の方の子孫だった!?お騒がせ自称霊能者再びカミングアウト
今より約10年程前テレビバラエティーにも出演し、イベントや講演会等にも引っ張りだこであった自称霊能者・織田無道。一時は、あの人気霊能者・宜保愛子を「狐憑き」呼ばわりするなど、豪快な破戒僧としてカルト人気を集めた。
彼は2002年に某宗教団体の乗っ取り行為を企み、事実では無い登記を行った罪によって、公正証書原本不実記載の容疑で逮捕された。織田無道本人は、事実ではなく、誤解であると釈明したが、司法の裁きの結果、懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。
その後、某雑誌にて「本当は自分には霊能力が全く無かった」とカミングアウトし、かつてのファンたちに失望を与え、超常現象の懐疑派・否定派からは失笑を買った。結果、霊能者(=タレント僧侶)としては、イメージダウンし、表舞台のメディアから姿を消した。
メディアから消え去った後は、厚木にある寺は息子に譲って、自分は北陸にある豊星寺の住職におさまり、僧侶として仏教の布教活動に専念していたのだが、現在は所在が全く判らないという。
彼は自分は霊能者であると自称していたと同時に、織田信長の子孫であるとも自称していた。だが、近年は設定変更を行ったらしく「実は織田信長の妹である「お市の方」の子孫である」と主張していたと噂されている。
この主張にも問題がある。お市の方はまず浅井長政と政略結婚し、男児1人と女児3人を授かる。だが兄の信長によって浅井長政と男児は殺害された。また再婚した柴田勝家との間には子はなく、賤ヶ岳の戦いにて勝家と共にお市の方は自害する。浅井長政との間の女児は、茶々が豊臣秀吉の側室となり、初は京極高次の正室、江は徳川秀忠の継室となった。つまり、お市の方の直系では、織田姓を名乗る子孫はいないはずなのである。
しかし、まったくありえない話でもない。筆者が浅井家の本拠であった小谷城付近を訪れた際に地元の人々から面白い話を耳にしたのだ。それは、浅井家には殺された長男の他に、次男がいたという話である。史書には残されていないが、豊臣側の家臣によって次男は密かに隠されて育てられたのではないかというのだ。飽くまで伝聞だが、話が本当であれば織田無道は、この幻の次男の子孫である可能性が残る。(勿論、違う姓を名乗っていたお市の子孫が先祖の姓に戻した可能性もありうる。織田無道はお市の三女・江の子孫と称していたともウワサされている。なお、これらを裏づける客観的資料は公表されてはいないようだ)
とはいえ「霊能者である」と詐称し、(司法上の裁定によると)宗教団体の乗っ取りを画策した人物の話を容易に信じることは出来ない。だがこのようなネタの塊である人物を失うのは惜しいとも考えられる。メディアには戻らないまでも、安否ぐらいははっきりして欲しいものだ。
山口敏太郎
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