●更新日 05/22● 写真
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呪われた防空壕


今年で60歳になる主婦のKさんには、子供の頃の忘れられない思い出があるといいます。それは、彼女が小学校4年生だった時の話です。

Kさんが通っていたT小学校には、以前から伝わっている一つの噂がありました。それは、小学校の地下には戦時中の防空壕があり、空襲で死んだ人たちの亡霊が、今も夜になると校内を彷徨っている、というものです。

Kさんも本気で信じていたわけではないのですが、地元の人たちの話では、防空壕は実在していた様子。どこかに防空壕の入口が今もあるのではないかと考え、Kさんは何人かの友達と一緒に校内をくまなく調べました。

すると、校庭の片隅の焼却炉周辺の草むらに、入口をふさいだような何かがあるのを友達のY君が発見しました。焼却炉近辺は、危険なので生徒は立ち入り禁止ということになっていたので、今まで詳しく知らなかったのです。

草を掻き分けると、釘で止められた木の大きな蓋がありました。放課後に図工室の大工道具を持ってきて蓋を取り除くと、そこには大人が身をかがめて何とか入れるような程度の大きさの穴がありました。


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これは防空壕に違いないと確信し、Kさんたちは穴の中へと入っていきました。やや急な斜面を、ゆっくりと下りていきます。穴の中は暗く、何も見えません。先の方から弱い光が差しているので、それほどの距離ではなく、どこか外につながっているようです。

手探りで一歩一歩前進していくKさんたち。仲間の一人が「足元に髑髏なんか転がってるんじゃないの」、「俺たち、ここから生きて帰れるかな」などと冗談半分に言い、Kさんたちは興味と恐怖が混じり合った心境で、胸が高まります。

ちょうど防空壕の中央あたりに差し掛かった頃。突然、グラグラグラッと大きな揺れを感じました。かなりの大きさの地震です。Kさんたちは悲鳴を上げながら、全速力でもう一つの出口らしきものへと、光の差す方向へ必死に進んでいきました。

出口から顔を出すと、そこは小学校の裏手らしき場所でした。どうやらどこかの家の庭のようです。Kさんたちは、無事脱出できたことにホッとしました。


あの時の地震は単なる偶然だったのでしょうか?

それとも遊び半分で立ち入ったKさんたちに対する、防空壕で死んだ人たちの祟りだったのでしょうか。



西垣 葵 西垣葵


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