ダムの死体
雨量が少ない梅雨が明ける時期になると、新聞を飾る「ダム干ばつ」の文字。
水が少なくなるに伴って自殺死体が発見されたり
ダム底に沈んだ車の中に複数の死体――――なんて事も少なくは無い。
自殺にせよ、事故にせよ、まだ「遺体」という形で出てくるケースはまだいい方ではないだろうか。
「遺体」という形で残る事は出来ず、違う形で残ってしまう人間も居る。
昭和初期、日本の山中に大きなダムを作る計画がいくつも出来た。
今のようなコンクリート施工の技術の無い時代のダムの作り方は大量の生コンを流す、という作業を数度繰り返して完成させる、という言葉にすれば至極簡単な事だった。
しかし、生コンを流している途中で、誤って足場を滑り転落する人間も決して少なくは無い。
無論、誰かが落ちてしまったら気付いた人間が、数人がかりで引き上げる。
膝程度ならズボンや長靴を脱ぎ捨てれば、何とかそのコンクリートの地獄からは逃げることができる。
だが、太ももや腰以上まで浸かってしまったら、迂闊に助けようとすると、生コンの重みと相手の重みで、自分まで引きずり込まれてしまう。
そんな人間を見た瞬間、「ソレ」は「人間」として認識しなくなる。
「仕方ないよな」
「オレも死にたくねぇし」
まだ生きている人間の目の前で言われる言葉。
助けを請おうが、罵倒しようが、仲間はその場から遠ざかっていく。
そして取り締まってる人間が言う言葉は、こうだったと言う。
「アイツ、身内の居る人間だったか?」
当時のダムの作業員の多くが日雇い労働者であったり、過疎の集落から出稼ぎで集められた人間だったのである。
日雇い労働者なら家族への連絡は必要は無い。集落からの出稼ぎの人間であれば「不慮の事故」
確かに不慮の事故かもしれないが、見殺しにしているのは、確かだ。
死をも隠蔽されて、ただのゴミのように埋まっていく。
恨み辛みを抱え、見殺しにした仲間を目に焼き付け、生き埋めになっていく作業員。
まだ技術が未発達の時代に作られたダムは下手をすると一つのダムに十数人という生き埋めの人間が出た。
その命の重さと引き換えにダムは出来ていった。
作業が終われば名前も忘れる、どんな人間だったかも忘れる、時間が経てばそんな事があったことすら忘れる。
だが、人間の恨みや怨念は残る。
ひょっとすると「ダムの一部」となってしまった身元引受人の無い人間が自殺者をダムの中へ誘惑をしているのかもしれない。
夜之羊
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