●更新日 02/14●
山口敏太郎のちょっといい不思議話〜第二次大戦中、家族へと送ったハガキが60年の時を超えて蘇った!
AP通信の報道によると、2005年3月30日、チェコスロバキアのポーランドとの国境にある町に住む男性(79)のもとに、60年前に父親に宛てて投函したハガキが届いたという。
1944年、チェコスロバキアがドイツ軍の占領下にあった当時に、この男性はドイツ軍に徴兵されて従軍したが、翌年のドイツ軍の敗北により米軍の捕虜となってしまった。同年4月5日に、男性は捕虜として収容されていたフランス国内の米軍キャンプから、チェコスロバキアに住む両親に向けてハガキを出した。しかしこのハガキは両親に届くことはなかった。
戦後の混乱のさなか、紛失されてしまったかと思われたこのハガキだが、約60年後の2005年2月、父親と同じ名前を持つポーランドの父親の兄弟宅に最初に配達され、この男性の家に転送されてきた。
ハガキの送り主だった男性は「びっくりしたよ。この手紙は60年間もどこにあったのかね?」と当惑しているという。彼の両親は40年前に死去しており、まさに天国にいる亡き両親への便りと言っても良いだろう。
60年という時を超えてハガキが届いた理由は、まだはっきりとは判明していない。おそらくは最近まで郵便局の片隅に忘れられたままだったものが、何かの切っ掛けで出てきたものではないか? と言われている。60年間、処分もされず、ひっそりと眠っていたハガキが存在したと思うと、不思議な気持ちになってくる。
日本にも心温まるハガキの話がある。2009年に秋田県のマスコットとして活動中のスギッチというキャラクター宛に年賀状が1通だけ届いた。これを秋田経済新聞が「スギッチに年賀状一通」と報じると、その惨状に北海道や東京、奈良、大阪などからスギッチを励ます内容のハガキが11通届いた、という。それが話題になり、マイナーなマスコットキャラだったスギッチの認知度は一部で上昇した。これは、12通の優しいハガキのおかげだろう。
日本でもハガキや手紙は、心を伝える"ふみの文化"としての一面もあり、挨拶、お礼状や暑中見舞いなど節目節目によく使われる。読者のみなさんも大切な人からもらう直筆のハガキや手紙は、格別なものと感じないだろうか? たまにはプリンターで印刷されたものではなく、心をこめた自筆のハガキや手紙を送ってみてはどうだろうか。
山口敏太郎
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