●更新日 09/12●

能勢町「史跡 しおき場」


戦国時代。現代よりもはるかに人の命が軽かった時代。
刑罰の種類は多種多様であり、死刑の方法のみをとっても6種類に分類されていた。

斬首(軽)……頸部切断による処刑。非公開。
       その後、遺体は葬儀を許され、墓地に埋葬される。

斬首(中)……斬首後、首は廃棄。胴体は刀の試し斬りに使用されたのち廃棄。
       葬儀・埋葬は許されない。

斬首(重)……斬首後、首は罪状を記した看板と共に「獄門台」に晒され、3日後に廃棄。
       胴体は試し斬りに使用されたのち廃棄。葬儀・埋葬は許されない。

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火刑……………いわゆる「火あぶり」。公開処刑。
       粘土などを使用して受刑者を柱に拘束し(縄で縛っても燃えてしまうため)大量のたきぎで焼殺。
       遺体はそのままの状態で3日間晒された後、廃棄。

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磔………………角材で造られた十字架、もしくは「キ」型の磔台に縛り付け、槍で刺殺。公開処刑。
       執行人2名が左右から数十回刺し、最後に喉を刺す。
       遺体はそのままの状態で3日間晒された後、廃棄。

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鋸引き…………首から下を土中に埋められ、その傍らに
       「誰でもこの者の首をひいてかまわない」
       というふれ書きと共に「竹製のノコギリ」が置かれる。
       受刑者は3日間そのままの状態で放置された後、磔の刑に処される。

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京都府との境に近い大阪府のはずれ。能勢町。
その山間に戦国時代に刑場とされていたという「史跡 しおき場」がある。
そもそもこの一帯、古くは「生首谷」「地獄谷」などと呼ばれ、戦国時代には斬首刑に処された罪人たちの生首がごろごろと転がっていたと言われる。

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霊峰「妙見山」の山麓であり、心霊スポットとして著名な「野間トンネル」も間近い。

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特に霊感の無い人でも、これらのプロフィールを聞けば、薄ら寒いものを感じずにはおれないだろう。
この一帯を指して「関西最凶の心霊スポット」と呼ぶ人もいる。
実際、「野間トンネル」を通過した辺りから、明らかに雰囲気が変わる。

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山道沿い。ガードレールの隙間にロープが張られた場所がある。

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そこを越えると簡素な小屋があるだけの、空き地のような場所にでる。

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朽ちて倒れた標識がある。書いてある文字を読むと。

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「史跡 しおき場」との文字。

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小屋の中には慰霊碑が奉られている。

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慰霊碑の近くに直径4メートル前後の苔むした巨石がある。
これには文字が刻まれている。
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円に囲まれた文字。
「耕」……「昌」……
朽ち果てていて、これ以上は読むことができない。

その昔、この場所で何人が、どのような刑に処されたのであろう。
昼なお暗いその場所からは、怨嗟と苦悶のうめきが聞こえてくるかのようだ。

処刑場跡「史跡 しおき場」。
多くの心霊サイトが紹介しているので、御存知の方も多いだろう。
しかし、この場所は単に「大昔、処刑場だった」というだけの場所ではない。
郷土史をひもといていけば「史跡 しおき場」の、あまり知られていない『もうひとつの顔』を知ることができる。

それは、当時この一帯を領地にしていた2つの豪族。
「能勢家」「多田家」の因縁と確執の物語であった。


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大阪:九坪


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