戦国時代最強武将の一人・織田信長を知りたければココへ来い!
と言われているような気がして・・
町田市にある泰巖歴史美術館に調査しに行きました。
早速中へ入ります。その前にこの「泰巖」という名前は織田信長の戒名
「総見院殿贈大祖国一品泰巖尊儀」より名付けたとの事です。
1階
信長肖像画・位牌・刀剣・織田信長年譜がありました。
2階
安土城天主の上の部分です。
撮影OKエリアは1階と2階まで。3階~5階は撮影NGでした。
3階は信長の時代、織田信長を中心に信長の一族・家臣や同時代の戦国武将たちの古文書・肖像画、
4階は合戦の時代、戦国時代を象徴する刀剣・甲冑・火縄銃・合戦図屏風など合戦にまつわる資料、
5階は信長が愛した茶碗をはじめ、窯・茶杓などの茶道具の名品を展示しています。信長はこのお茶を使い政治・経済・交流の場に必ず用いていたそうです。
2階には織田信長の半生を流したシアターがあります。ミスター謀反・明智光秀に攻め込まれて自害するまでの約20分間のドラマでした。あと皆さんは織田信長と聞けば連想するのは本能寺の変と比叡山焼き討ちではないでしょうか?
お寺のお坊さんに対して何と残酷な事を・・いやいや比叡山焼き討ちは起こるべくして起きたと思います。ユーチューブなどで「仏教ヤクザ」と検索してください。まあ出るわ出るわ生臭坊主どもの悪しき振る舞いの数々。至るトコロに関所を作っては通行料を徴収したり・・本来食すのは禁止であるべきはずの肉・魚を食うどころかお酒も飲み明かしたり遊女を呼んだり・・農民にお金を暴利で貸し付けたり・・寺社内で賭場を開いてテラ銭を取ったり・・やりたい放題だったそうです。
オマケに僧兵という武力まで用い政治にも口を出すようになってきました。信長も最初から攻め込んだ訳ではありません。再三書状(手紙の事)を送り仏の道を改めよと忠告したそうですが・・一切聞き入れません。とうとう織田信長は家臣からの進言もありブチ切れました。時は戦国時代です。生きるか死ぬか殺すか殺されるか人権なんか屁とも思ってない時代です。ついに比叡山に攻め入りました。
成敗された生臭坊主・女・子供も含めるとその数は数千人の虐殺・・
でもコレは近年の研究でオーバーではないかという説があります。
攻め入れられる前に逃げ出した女・子供・僧も大勢いたそうですし後世に信長にこんな非道なる仕打ちを受けたと歪曲された話が真実として独り歩きしてしまった説もあります。真相は果たして。そして最後は本能寺で一泊していた所に明智光秀の謀反により自害という天命を全うしました。織田信長の名言
人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を受け 滅せぬもののあるべきか
探偵ネロ 漫画・アニメ・映画・都市伝説大好きオタク探偵