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読者さんからのご意見への回答

 前回の記事に関して読者の方からご意見をいただきましたので、ちょっとお答えを。

ちょっと気になった部分があります。「みんなポテンシャルあるのに勿体無い、1年後に死ぬならどう行動すべきかと考え、もっと好き勝手やってみてほしいと心底思います。」というところです。
 これは仕事に関して言及されていると思うのですが、やはり収入が原因です。現役世代から見ると、子どもを約20年間養うために保守的にならざるを得ないからです。
 一方、仕事面は保守的でもプライベートは「1年後に死ぬなら・・」的に楽しんでいるという方も結構いるように思えます。人生は仕事だけではないので、そういう「好き勝手」で楽しんでいる方も多いのでは。そういうのも一つの生き方のように思えます。

 マックイーンさん、ありがとうございます。ご指摘のように、プライベートでは好き勝手楽しむ人は増えているし、それ自体素晴らしいことだと思います。
 ただ、個人的には、それを仕事でもやる人も増えてほしいです。失われた30年で日本は貧乏になり、今や平均年収は米国の半分以下。そうなった原因は、企業の経営者が賃上げよりも内部留保ばかり増やし、働く側も生活を守るためにそれに従うという、社会の保守的な行動の無限ループにあると思います。

 日本人のポテンシャルは間違いなく大きいのに、環境が保守的な行動を強いたためにそれが活かされず、多くの人が仕事をエンジョイできず国も貧乏になった。これほど残念なことはありません。
 だからこそ、デフレが終わってインフレと人手不足の時代になったのだから、働く側から動いてこの無限ループを終わらせるべきではないかと思っています。

 

記事から無意識的に、かもしれませんが終わりを意識したような表現が垣間見えるように読んでしまいました。お仕事に情熱を注ぎ、多少の犠牲は厭わない姿は以前からかと思いますが闘病前と表現が変わったような印象を受けました。
微かなニュアンスの違いかもしれませんが、以前は「あ、それは解釈が違います」と言えるような、ある種の曖昧さを残す表現をされていた気がします。
数値が良いのであれば、理想の実現後もやりたい事は出てくるでしょう。生活の基盤は大事です。”これがやりたいんだ”が”これさえやれれば”にならないでほしいです。

 平野さん、ご心配ありがとうございます!血液の数値が改善しているので終わりは意識しなくなっているつもりですが、一度明確に死を意識したことですごく考え方が変わったというのがあるかもです。
 病気になる前は、知名度や影響力を高めたい、家族のために金を稼ぎたい、といった欲求が当たり前にあったのですが、死を前提に何が大事かと突き詰めて考えるうちに、俗っぽい欲求がなくなってしまいました。今や物欲ゼロ、名誉欲ゼロ、(脱力タイムズ以外は)テレビに出たいとも思わなくなった位です。
 その代わり、お世話になった方への恩返しと、関わった人を笑顔にすることの方が楽しくなったんですよ。ちょうど64歳になりましたが、長い人生でこの感覚は初めて。自分で言うのもなんですが、かつての私は我が強くて自己中心的とすごく性格悪かったのが、多少は補正された感じです(笑)。
 なので、結果的に病気になって良い経験をできたので、つくづく自分は運が良いなあと思っています。

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岸 博幸(きし ひろゆき)
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授、RIZIN(格闘技団体)アドバイザー。専門分野は経営戦略、メディア/コンテンツ・ビジネス論、経済政策。元経産官僚、元総務大臣秘書官。元内閣官房参与。趣味はMMA、DT、VOLBEAT、NYK。

 

 

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