2006年は戌年ということで、渋谷駅のハチ公像をデザインした年賀葉書が販売され、話題を呼んでいます。
「忠犬ハチ公」として知られる物語は、主人の死後も毎日のように駅へ迎えに行ったハチの美談として語られているのは御存知の通り。
ところが、その美談は事実ではなかったという証言があります。以下は、ハチの飼い主だった上野英三郎博士の子孫に当たる人物から聞いた話。
上野博士の存命中から、ハチは主人の帰りを渋谷で待つことがありました。しかし、その理由は必ずしも主人の帰りが待ち遠しかったからではないと言います。上野博士は駅前の居酒屋などで帰りに焼き鳥を食べていく習慣があったようで、ハチは自分も焼き鳥を食べさせてもらうのが楽しみだったとか。
博士の死後もハチは主人の帰りを待ち、連日のように駅に姿を見せます。美談として知られるのは主人が既に亡くなったとは知らずに待ち続けるハチの健気な姿なのですが、博士の子孫の証言によると大分異なっていました。
それは、博士が存命中に通っていた居酒屋の店員などが、ハチを可哀相に思って焼き鳥や各種の食べ物をあげていたからだと言います。
ハチが食べ物をねだりに来たのにも理由が。残された未亡人はハチのことをあまり好きではなかったようで、博士の亡き後、ろくに餌を与えていなかったため、ハチはいつも空腹に苦しんでいたとのこと。死後に解剖すると焼き鳥の串らしきものが出てきたらしいことから、ハチの餌は近隣の人達があげていた食べ物の方が多かったようです。
今、普通に広まっている美談とは随分食い違う話ですが、むしろ博士の子孫は、「美談」が広まってしまったことに強い憤りを感じていたとか。
美談の裏には何らかの陰が存在するというのは歴史の常でありますが、ハチ公の物語もその例外ではなかったということでしょうか。
ハチ公のお墓は上野博士のお墓の隣にあります。
物語が真相がどうであれ、向こうで仲良く暮らしていることでしょう――
山木