多発性骨髄腫の治療のために7/22に入院して、3週間が経ちました。読者の皆さんのお役には立たないと思いますが、入院中に感じたことを備忘録的に記しておこうと思います。
文系の私の拙い理解では、多発性骨髄腫とは平たく言えば血液の癌で、今回の入院では、抗がん剤を投与して骨髄の中の悪い細胞を殲滅した上で、造血幹細胞を移植して正常な白血球などを増やすという治療をやっています。
入院して最初の1週間で検査などをやった後、7/30、31に抗がん剤が投与され、8/1に造血幹細胞が移植されたのですが、実は私はここで勝手にすごく拍子抜けしちゃいました。
というのは、“抗がん剤投与”や“造血幹細胞移植”と言われると大変な医療行為に聞こえるので、私は勝手に、手術室とかで主治医の先生が厳かにやるのかと思っていたのです。ところが実際は、自分の病室で看護師さんが一人で、私の首に装着されたカテーテルから投与・移植するだけでした。“おい、それだけかい!”とツッコミを入れたい位、本当にあっさりです(笑)。
しかし、やはり抗がん剤を甘く見てはいけませんでした。抗がん剤が投与された翌日から、最初の副作用である強烈な吐き気と粘膜障害(要は下痢)がひどくなり、五日くらい食事をまったく食べられず(点滴で栄養とカロリーを補給)、ベッドで悶え苦しむ羽目になりました。
第一の教訓:体力は大事
ただ、逆に言えば抗がん剤の副作用に苦しんだのはその五日間くらいで、その後は、点滴の薬の効果もあるとはいえ、吐き気などの副作用も克服して急速に元気になってきました。今は病院内のリハビリ室で一日45分トレーニングをしている位です。
ではなぜ看護師さんも驚くような副作用からの復活ができたかというと、基礎体力があったことが大きいのではないかと思っています。私は若い頃からクライミングと格闘技で身体を鍛えていたので、60歳にしてはかなり体力がある方ですが、それに加え、春から入院に向けた体力増強で週2回は皇居一周のランニングをしていました。
なので、やはり体力は何よりも大事です。この歳になっても定期的に運動を続けて基礎体力を強化する重要性を改めて再認識しました。故アントニオ猪木の名言「元気があれば何でもできる!」は正しかったんです。
第二の教訓:人は自分が思うほど自分のことを気にしていない
ところで、これも抗がん剤の副作用ですが、8/11くらい、つまり抗がん剤を投与して10日目から、髪の毛が抜け出してました。髪の毛をちょっと引っ張るとごそっと抜け、頭を洗う更にごそっと抜けます。これが始まると多くの人はショックを受けるらしいですが、幸い私は全くショックを感じずに済んでいます。
何故かというと、知り合いから教わった名言“周りの人は自分が思っているほど自分のことを気にしていない”を身を以て学んできたからです。
私は60歳なので当然髪の毛は白髪だらけ、春まで真っ黒の髪の毛でテレビに出ていたのは染めていたからです。しかし、夏に抗がん剤治療をして髪の毛がなくなると分かっていたので、頭が突然真っ黒からハゲになるのは落差が大きいと思い、春から髪の毛を染めるのを止めて髪の長さも短くしました。
でも、それで周りが私を見る目は全然変わりませんでした。よく考えたらそれも当然で、私がテレビに出させてもらっているのは、私が話す内容へのニーズがあるからで、テレビで私の顔を見たい人なんて誰もいないはずです。
実際、入院してすぐに、治療に向けて髪の毛を三分刈りにしたのですが、それで病院内を歩いていても誰も気にしてませんし、看護師さんの中には三分刈りの方が似合うと言う人までいる始末です。
そう、やはり周りの人は自分が思っているほど自分に関心を持っていないのです。日本人は真面目すぎるので、勝手に自分のイメージを決め、それを変えるのを怖がる傾向があると思いますが、単なる自意識過剰です(笑)。
私は、9月からどういう姿でテレビに出ようか今から楽しみです。どうせ私の顔や髪型になど誰も興味ないんですから。
第三の教訓:残りの人生をどうエンジョイするかちゃんと考える
話は変わりますが、私は“結果的にこの病気に罹って良かった”と思っています。自分の残りの人生について真剣に考えるきっかけを与えてくれたからです。
治療を始めた時の主治医の説明などから、私は、自分はいつ死んでもおかしくない状況だったけど、この治療がうまく行けばあと10年は生きられるようになるんだ、と理解しました。そこで初めて、10年という人生の残り時間をリアルに実感し、そこで何をすべきかを真剣に考えるようになったのです。
病気が発覚するまでの生活を振り返ると、日々仕事に追われるもののそれなりに充実して金も稼げていたこともあり、実際は60歳のジジイなのに、無意識のうちに、その日常をまだ当分の間は続けられるはずだし、また出来るだけ長く続けるべきだと勝手に思い込んでいました。
日本人の平均寿命を考えると、そうした発想は間違いではありません。でも、この歳になって今までの生活の延長を目指すというのは、やはり人生の妥協だよなあと思ってしまいます。私は大学教授や評論家として偉そうに世の批判ばかりしてきましたが、人生の残り10年も同じように、自分がリスクを負わない立場で偉そうなことばかり言っていても、それで大事な残りの人生が面白くなるはずありません。
もともと私は米国在住時の経験から、人生はエンジョイするものであり、人生はやりたいことをやって自分がハッピーにならないと意味ない、と考えていましたが、大事な残り10年で、無意識のうちにこの信念と正反対のことをやろうとしていたのです。
でも、病気がこの自分の間違いに気づかせてくれました。私は病気が発覚してから入院中の今に至るまで、人生の残り10年何をやるべきかずっと考え続けてきました。その結論もほぼ明確になったので、退院後は、BOZZのお力も借りながら、妥協しないでやりたいことをやる気になっています。過去数十年で今が一番やる気満々かもしれません。
読者の皆さんも、定年退職など人生の節目に残り人生を考えることがあると思いますが、漠然と平均寿命までとか考えずにもっと明確なタイムスパンで考え、かつ残りの人生をいかにエンジョイするかという観点から考えてみてほしいと思います。
多くの方が、私と同様にこれまで社会人として妥協、我慢、辛抱といったものを繰り返してきたと思います。せめて人生の残り10年は好き勝手やってもいいのではないでしょうか?
家族は怒るかもしれませんが。。。(笑)
岸 博幸(きし ひろゆき)
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授、RIZIN(格闘技団体)アドバイザー。専門分野は経営戦略、メディア/コンテンツ・ビジネス論、経済政策。元経産官僚、元総務大臣秘書官。元内閣官房参与。趣味はMMA、DT、VOLBEAT、NYK。