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36人女子学生溺死事件の真相


言い伝えられていることと実際に起こったことは違っていました。もっとも、36人の犠牲者が出たことは確かですし、その日のちょうど10年前に同じ海岸で約100人の人が米軍の油脂焼夷弾で焼き殺されたことも事実でした。
大きく違っていたのはその後の「生き残った女学生による怪談話」が女性誌の捏造であったこと。それに端を発していくつかのテレビ番組(アンビリバボー等)も過度な演出で怪談に仕立て上げたという事実です。

事件当時、学校の責任が遺族会によって追及されようとしていました。溺れた100名余りの女子学生は泳げない子たちばかりで構成され、2人の先生による「特訓」が行われたのです。そして1.5メートル以上の高波に襲われた…これが事故の顛末です。
事故が起き、とんでもない賠償問題になった学校側や市は生き残った女子学生(中西弘子さん)の「臨死体験」を材料にして怪談話をバラまき、女性誌が記事にしました。後にも中西弘子さん本人は明確に否定しているのですが、メディアは亡霊を見た女学生というイメージを覆そうとしませんでした。
これで責任は先生や学校では無く戦時中の亡霊による事故という話がまことしやかに喧伝されていきました。
これらは







津市にある密蔵院の関係者、そして


 

遺族会長の息子、足立さんに対する聞き込みによって得られた事実です。足立さんはメディアの嘘を強く憤慨なさっていました。
メディアの誘導尋問と切り取りの仕方の具体例をひとつ紹介しますと
「弘子さんの周囲で幽霊を見たという人はいませんでしたか?」
「…いますよ、防空頭巾を被っていた人が迫ってきた話とか…」
この部分の「防空頭巾を被っていた人が迫ってきた」を切り取れば、さも弘子さんが体験したかのように視聴者は思ってしまうわけです。

 




何度も惨劇が起きた海岸であることは確かです。戦争の10年後、同じ命日に起きた事故であることも紛れもない事実です。しかも、同じ「人災」でした。
当時、先生の命令は絶対だったのでしょう。
泳げないという不安を抱きながら海へ向かい、強制的に泳がされて絶命した36人の女学生は私に『もっと生きたかったよ…』悔しい思いを伝えたいのだと感じました。

 

BOZZ

 

 

 

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