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「『頂き女子』は殺害されても仕方ない」という加害者同情説はなぜ生まれるのか――新宿タワマン殺人の容疑者に同情が集まる本当の理由――

東京都新宿区西新宿の高層マンションで平沢俊乃さん(25歳)が2本の果物ナイフで首など複数を刺され殺害された事件で、警視庁が和久井学容疑者(51歳)を逮捕しました。
ガールズバーを経営していた被害者に51歳の加害者が渡したカネは1,000万円とも2,000万円とも報道されています。が、被害者はこれを「店の料金の前払い金」と言い、加害者はこれを「店の経営を応援するため」と言い、両者の認識にはこの巨額のカネが「ビジネス上のカネ」か「好意で渡したカネ」かをめぐりズレが生じています。

だけど51歳のおじさんが25歳のガールズバー経営者にどれだけの札束を積んだところで、それが「好意」とみなされ恋愛や結婚に進展するというのは稀有。一般的には都合の良い「カネづる」になるリスクが高いです。もっとも、被害者が巧妙な「頂き女子」であった可能性も高いわけで、そうなると加害者は策略にハマってしまった「おぢ」となるわけです。

「おぢ」たる加害者には数多くの同情すべき点がありますが、本気で「被害者」と恋愛・結婚を望む気持ちを抱いたかどうかは不明です。むしろ戻ってこなかったカネに執着しストーカー行為による接近禁止命令をくらったと考えるのが大筋でしょう。

以上、事件の大筋を見るなか、不思議なのが平沢俊乃さんを「殺害されても仕方のない存在」として扱う第三者がSNSを中心に蔓延していることです。社会通念上、殺人は罪であり、償うべきは加害者であるというのが法治国家としての姿ですが、それに反して殺害された被害者に非があるかのような主張をする人がいるのはなぜでしょう。

しかも、そうした嫌疑や非難の主な対象となるのは風俗、水商売、セックスワーカーや過去にそうであった女性が大半です。そして不条理なバッシングは「ふしだら」「みすぼらしい」「まともな職につかない」「カネに汚い」などもっともらしい偏見に基づいて正当化される傾向があります。

残念ながらこうしたバッシングは、自分より弱い立場の人間の「弱み」に付け込んだ行為であり、社会学ではその「弱み」を「相対的無力」(relative powerlessness)などと言います。別の見方をすると、人というのは自分よりもさらに「相対的無力」な人間を探しては嫌疑や非難を向けるというコワイ一面があるということが言えるでしょう。

平沢俊乃さんが殺害された事件に再び戻りましょう。被害者に向けられる、あたかも「頂き女子なら殺害されても仕方ない」というような言説は、ガールズバーの経営者という属性への偏見と彼女の「相対的無力」に付け込んだマウント行為であると思われます。
だけど改めて自分をメタ認知してみると、誰だってきっと「相対的無力」さを抱えている存在なんです。その強弱を競い合ってマウンティングを仕掛け合うのってかなりやるせないですよね。

 

 

 女探偵 堺浄(さかい・きよら)

政治家を経て、生成AIやITを駆使し過去の事件を分析する女探偵に。社会科学領域の研究者(慶應義塾大学大学院を経てPh.Dr.)でもある。掘り下げたいテーマは、女性はなぜ政治の世界で「お飾り」になるのか、日本の「タテ社会」と「ムラ社会」は不変なのか、内部告発は組織の不条理に抵抗する最終手段なのか。

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