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優子ちゃんのメール(原文のまま)音声ファイル追加

ほんの一部ですが、優子ちゃんの遺志により公開します。個人的には掲載したくなかった内容です。

 

彼は白いビニールロープを出し、私を裸にして、手足を四方に括りつけたり、天井から吊り下げたりして、ベルトでたたいた。

痛くて、泣いた。わめいた。それでも、やめてくれなかった。

その後、カーテンレールのようなもので、足を開いて縛りつけて、次は陰部を叩いた。
「貴方の悲鳴を聞くと、楽しい。もっと泣かせたくなる」
そう言ったのを、気を失いそうになりながら聞いていた。

それから、洗濯挟みを持ってきて、(乳首や陰部を)挟んで、「なんでも言うこと聞きますって言いなさい」と言われて、言わされた。それでもなかなかはずしてくれなかった。

その後、後ろ手に縛って、よつんばいにされて、あいつは洗面器を持ってきて、ビニールプールを作るような、ポンプを持ってきて、お尻に突っ込んで、何回も何回も、お湯を入れて、それから缶を持ってきて、排泄させた。あいつが、ずっと見ていた。
それから、「拭いてあげるからね」といいながら、私の汚れた部分を拭いて、缶を置いて、私に見せた。


それから、性器を出して、私にくわえさせた。息がつまりそうだった。
もっと吸えとか、うるさかった。それから、乳首を噛ませた。
もっと噛んで、とか言われた。


終わったら、赤い蝋燭を取りだして、私の身体に垂らした。また四方に手足をくくりつけて。タオルを噛ませて。
手に垂らして、足にたらして、お尻にも、陰部にも、垂らされた。
痛かったのしか覚えていない。

終わったら、玄関から、堅いブラシを持ってきて、蝋を乱暴に落とした。痛くて仕方なかった。
それからしばらく灯油ストーブの前で、後ろから抱きしめながら、
「愛してる、愛してる」
と耳元で気持ち悪い声でずっと言ってた。

帰りの時間ははっきり覚えていませんが、かなり遅くになっていました。
玄関を出る前、ドアを背に押さえつけられて、出した汚物をなめさせられた。
嫌だと言ったら、(排泄物を)むりやり口につっこまれた。


椅子に段ボールを折り曲げたものを置き、またがらせたり、やはりお菓子の筒を性器やお尻に突っ込んだり。首輪をつけ、縄飛びの持ち手をお尻に突っ込み、
「しっぽだよ」
と喜んでいたこともありました。それを柱などにつなぐのです


野外で脱がされ、縄を性器に食い込ませて、縛りつけられたこともありました。
そして、反抗すると、
「逃げたら、そのまま裸で棄てるよ」
というのです。


また、市販の浣腸薬を入れられたこともありました。
椅子に足を開いて縛り、バイブを付け、浣腸をされたこともあります。
洗濯挟みもよく使われていました。

マッチや蝋燭を直につけ、焼かれたこともありました。
コンセントに触れさせられ、感電させられたこともありました


この頃だったでしょうか・・・、本当に、やめてください、とひどく反抗したことがあったのです。
台所でした。


~中略~(○○教師の行動に恐怖した際の描写)

どうして、と聞いたら、彼は言いました。
「貴方の怖がる姿がみたかったの。かわいいね。もっとやってみようか」
そう言われて、本当に生きた心地がしなかった。

身体に噛み跡をいくつもつけられた事もあった。乳首を噛まれて、しばらく、炎症をおこしていたこともあります。

「殺してください」
と懇願するような手紙を書かせ、その次にレッスン室に行った際、私も生きた心地もせず、どうしていいかもわからず、
「殺すんですか?」
と聞いた覚えがあります。○○先生は、

「そうしたいけど、もし失敗したら僕が警察に捕まる」
そう言っていました。また、その辺りから、
「貴方を監禁して、服も持ち物もみんな焼いて、閉じ込めたい」
というような事を言っていました。
「でも捕まりたくないからやらない」と。また、
「監禁したら、ずっと裸でいさせるんだ、服を着ていたら、寝かせてやらないんだ」
とも言っていました。


牛乳を浣腸してみたい、と言って、実際にされたのですが、過程は灯油ストーブで暖めていました。
そんなもの入れて欲しくない、身体を壊します、と言っても聞いてもらえませんでした。
「大丈夫だよ」
そう言いながら、家から持ちだしたというシリンジに、ストローを付け、注入されました。

この頃アナルセックスを押さえつけてされ、尋常じゃない痛みに叫んだ時も、私の口を抑えて、笑っていました。(後に何度も下血していますが、病院に行けていません)
○○先生は、私が苦しんだり、泣いたりするのが、本当に楽しいのだと…。


○○先生は言いました。
「もし喋ったら、バラしたりしたら、本当に殺すからね。殺して山に棄ててやるから。
遺体は見つからないように、ちゃんと刻んでやる。
そのままビニール袋に入れて、ここに保管してもいい。とにかく、言わないでよ。僕が怒られるんだから」
本当に、恐怖でした。何も言えなかった。


それからこんな風にも言っていました。
「昔幼女殺人事件があってね、女の子を殺して、性器をガムテープで開いたままにして、ビデオに撮ってた人がいたんだって。楽しいかもね」
そして実際に、私の性器をガムテープで開いて、このまま殺したらどうだろう、と言っていました。

先生は私に膝枕をさせたり、お尻や性器に針をさした事もありました。

消毒、と言って、針を舐めてから刺していました。
裸で傍の林を歩かせたい、とも言ってました。
志望した大学が林が多かったので、大学に入ったら、外でしてやるんだ、とも言っていました。

どこかで18禁の本や鎖を拾ってきて、見せたり、つないだりされたこともありました。
洗濯挟みで身体を挟みながら、SMの本を見せ、
「ほら、この人も我慢してるよ」
と言っていました。


担任とよく話すようになっていた頃、校長先生が、よく私を見にきました。その頃は怪我を見に来て下さったのだと思っていたのですが。
ある日、担任が、私にこう言って来ました。
「いろいろ話を聞いて知っているんだけど、良かったら、相談してくれない? 誰にも言わないし、助けてあげるから」
それまでの担任はとても優しい感じの人だったので、事件の経緯について話しました。
また、それにより非常に追い詰められていること、傷もたくさんあることを。
しかし、話終わった後、表情を冷たくして、あざ笑うように担任の先生は言いました。
「そんな話人にして、恥ずかしいと思わないの?」
私はとても、悲しかったです。

直後、単身赴任していた父の職場に電話がかけられました。両親が、突然校長先生に呼び出されたのです。
「お宅のお子さんが、ありもしないおかしなことを、うちの担任に言ったそうだ。この前の目も、足も、自分でやったのではないか。自傷行為だ。しかるところに連れて言ったらどうなのか」
親はそう言われて非常に怒り、あんたはやっぱりおかしい、としばらくずっと言われていました。

詳細までは話せなくとも、それは違う、と言っても、何が違うのよ、違うはずないじゃない、先生が言ってるのよ、と取り合ってもらえませんでした。


私は既に相当疲れきっていて、○○先生につけられた噛み傷や、火傷、切り傷を消したいがために、その上から、カッターで切るようなことをしていました。
○○先生は、その傷を見て、せっかくつけたのに、と嫌がっていたのを覚えています。
変わらず、まともな排泄すらさせてもらえませんでした。
「いつか尿道カテーテルも入れてみたい、痛いらしいね、けど、絶対麻酔してやらない」
というようなことを言っていました。
丁度お正月などで日にちが空いたためか、
「もうここに来ないんでしょう」
などと、馬鹿みたいにしつこく言っていました。
その日の攻撃は執拗でした。
声が聞こえるからと、わざわざ真中の部屋に行き、縄飛びをお尻に突っ込み(血が出ていた)、お菓子の筒を無理やり性器につっこみ、いつものように首輪を突け、手を後ろに縛り、足を2方に縛り、執拗にベルトで叩いたり、蝋燭を垂らし続けたり、その火を直に付けたりしました。
余りに痛かったため、私は発狂したようになり、はっきりと覚えていないのですが、叫び続け、強く自分で首をしめた覚えがあります。
○○先生は、ただ
「うるさい」
と言いつづけ、タオルを噛ませ、押さえつけていました。

帰る際も、
「どうせもう来ないんでしょう」
としつこく言い、次にいつ来るか、などしつこく約束させました。
「また来るからねって、紙に書いていってよ」
そう言って、紙に書かされた覚えがあります。

 

 

音声ファイル

1、変態行為

2、愛している

3、手紙を返して欲しいと懇願する優子へ

4、口封じ 1

5、口封じ 2

 


渡邉文男  九坪

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