まず、ネット等で兵庫県西宮市のニテコ池以外に特定できる情報が無いことを確認し、現地へ向かう。
すると、添付のマップのように、大きな墓地と池が一体となった地形だということが分かった。
私は先ず無縁仏の一角を見つけ出し、用意しておいた花を手向けて供養をした。
火垂るの墓と言う物語は、原作者の体験もさることながら、当時の「戦災孤児」にまつわる話の集大成と言える。「節子」という一人の哀しい話だけでは無い。それこそこの地域だけで何百、何千の節子ちゃんが実在しただろう。(3度の大空襲で神戸市全土やその周辺が壊滅した)
調べてみると、当時、ニテコ池には10以上もの防空壕が存在した。
私は聞き込みを開始。
35度の酷暑…。なかなか住人と出会えなかったが、初老の女性の聞き取りから方角が絞られた。
そして聞き込み開始から1時間後。
当時のことを良く知るマンションの管理人がいた。
「節子ちゃんがいた防空壕はこの真下だよ。入口は塞がれちゃったけどね。」
水道施設のため立ち入り禁止になっていたが、無事、花を手向けることが出来た。
節子ちゃんは戦災孤児の象徴的な存在となった。
だが、本当の火垂るの墓は、全国にある。
BOZZ
~調査指令、お待ちします。