最近はヒグマが人里に降りて人を襲う事件が頻発しヒグマを駆除するというニュースをよく見る。
怪物ヒグマ OSO18が捕獲されたのも今年の8月のことだ。
そのたびに出てくるのがどこかの動物愛護家や団体である。
「クマを殺さず別の方法で対処しろ」「動物の気持ちを考えろ」
のような主張をよく見るが、こういった主張をする動物愛護家に対するアンサー?をある作家が自著に書いていた。
(井上ひさし公式サイトより)
井上ひさし氏である。
何かを作り出す人間というのは大なり小なり世間との’ズレ’を持っているパターンが多いがその’ズレ’が良い作品を生み出すこともある。
井上ひさし氏は動物愛護に対して残酷な方法ではあるものの一理ある’ズレ’を自著に書いていた。
文芸春秋 昭和五十六年三月三十日 第一刷 『巷談辞典』 92『動物愛護』より
「小学五年のとき、近所の猫を煮干し用雑魚(じゃこ)でおびきよせ、とっ捕えてやつの鼻の穴にわさびの塊を押し込んだことがある。」
「小学六年のとき、やはり近所の猫を雑魚でおびきよせて捕え、火の見櫓の天辺から落したのだ。猫はにゃんともいわずに即死した。」
「高校時代、日向ぼっこをしていた猫にガソリンをかけ、マッチで火をつけたことがある。」
これは酷い。虐待というかもう殺害である。
と、まあ猫に対して極悪非道な井上氏ではあるが、その後の屁理屈が面白い。
「動物愛護家には人間を愛することのできない人が多いような気がする。」
「あの人たちは自分と同じ種族である人間が飢えているのを見すごすことはできても、自分の傍にいる犬猫が飢えているのは無視できないのではないか。もしそうなら、これはずいぶんおかしいような気がする。わたしたちの動物虐待は、屁理屈をつければそういう人たちの〈動物愛護精神〉に対する無意識のからかいだったのだ。」
うーーーーん、、、、、。
これを言い出すと「人間も虫と価値は一緒だから殺しても良い」と簡単に人を殺すような人間も出てくる可能性があるのも否めない。
逆に「人間様は慈悲があるから、か弱い動物さんを守ります。」というある種の偏った選民意識を持つ人たちも確かにいる。
動物愛護側の考えも井上ひさし氏の考えもどちらも理解できなくはないが、考え方が’ズレ’た状態で主張や行動がやり過ぎているので、両者ともに微妙に賛同しずらい。

NAKANO
ガルエージェンシー大阪本部
探偵歴6年目。映画に憧れ過ぎて探偵になってしまった男。雑多な知識で調査をこなす現役探偵(0120-000-783)
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