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内部告発を検証する3 ~盃を交わす=囚われの蟲なのか

前回「内部告発を検証する ~元舞妓さんは、なぜ内部告発に踏み切ったのか2」につづき3回目の連載です。

桐貴清羽(きりたか きよは)さんが14歳で舞妓さんになると決断し、15歳で実の母に別れを告げ、置き屋の「お母さん」と盃を交わし「仕込み」に入り、16歳4ヶ月で「お座敷デビュー」に至るまでのうち、今回は、置き屋の「お母さん」と「盃を交わす」ことに焦点を当て、「盃を交わす」ことの意味を紐解いていきます。

京都花街にある置き屋の「お母さん」は、舞妓や芸妓の仕事や生活を取り仕切る、いわば経営者です。売り上げや給与を管理するほか、舞妓や芸妓の身だしなみや礼儀作法の指導もします「盃を交わす」とは、このような立場にある置き屋の「お母さん」との親子関係を構築することを指します。

結論を先取ると、「置き屋」の「お母さん」と彼女の親子関係は必ずしも愛情にあふれた関係ではなく、支配と従属を前提とする関係であったことを桐貴さんから伺い、衝撃を受けました。

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堺 浄(私) 桐貴さんにとって「盃を交わす」ことの重要さって、どんなことでしたか?

桐貴 私にとって重いことでした。イメージしていただきやすいのは、結婚式かと思います。白無垢の結婚式がよく神社で行われていますよね。金屏風で囲まれて、お盃で三々九度を交わす感じです。

真ん中に神様がいて、お母さん、お姉さんたち、見習い茶屋のお母さんたちがいる中で、私は盃を交わしました。みんな正装して、神様に見守られながら、よく分からなかったですけど、難しい言葉をつらつらと言って、それを聞いて。最後にお酒を「いただきます」って何度か繰り返していただきました。

静かな神秘的な雰囲気でした。お母さんに「あんたは今日からここの人間やから」と言われました。これが親子のご縁を結ぶっていうことなんだって思ったら、とても嬉しかった。だって、家族ができるってことでしょ。これからは「お母さん」とか「お姉さん」と呼んでいいってことなんです。

(私) 温かい家庭ができたことは喜びだったんだね。

桐貴 やっぱりちょっと嬉しかったです。それと裏腹に、逃げられないなって感じました。15歳の子どもでしたけど、子どもながらに嬉しい気持ちとモヤモヤした気持ちとが相まって、嬉しくも不安で。眠れなかったりもして、かなり気持ちのアップダウンが激しかったです。でも私、家族に憧れていたから、「やっと私も家族の一員だ」っていう気持ちは大きかったです。

(私) 逆にいうと、これからどんな境遇が待ち受けていたとしても「家族」であることに変わりがないとしたら、それは大きなプレッシャーになりますよね。

桐貴 実際そうでした。ただ「盃を交わす」ことと、家族として歓迎されることとはイコールではなかったんです。最初のごく一瞬だけ優しい雰囲気で家族だなって思いましたけど、実は全然歓迎されていなかったんですよね。家族として受け入れられたと思って入ったお家では、私はゴキブリホイホイで捕まえられる虫みたいなイメージかな。私の甘い考えと現実とのギャップがあまりにも大きかったです。

(私) 15歳の女の子がそんな孤独な境遇で生活するって過酷です。絶望の最中に置き去りにされたような。しかも、「置き屋」では常に多方面に気配りをして、家事をこなして、働き続けるわけですよね。壮絶な体験をなさいましたね。

桐貴 「仕込み」の頃から少しお酒をすすめられたりしていましたが、舞妓さんデビューをして初めてのお座敷から本格的に飲み始めました。

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次回は、舞妓さんのお座敷の様子を未成年の飲酒という切り口から見ていきます。お楽しみに。

 

2022年6月26日の桐貴さんのX(当時のTwitter)によって、未成年飲酒の実態が明かされました。

 

 女探偵 堺浄(さかい・きよら)

政治家を経て、生成AIやITを駆使し過去の事件を分析する女探偵に。社会科学領域の研究者(慶應義塾大学大学院を経てPh.Dr.)でもある。掘り下げたいテーマは、女性はなぜ政治の世界で「お飾り」になるのか、日本の「タテ社会」と「ムラ社会」は不変なのか、内部告発は組織の不条理に抵抗する最終手段なのか。

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