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山口組分裂の裏側   ~BOZZ

 

 


山口組は三代目組長であった田岡氏の出身母体、神戸に本拠を置くこととなり、山口組と言えば神戸だった。
田岡組長の跡目としては、主に山健組から組長が出ていた。しかし5代目の渡辺組長の跡目に名古屋地区で勢力を伸ばしてきた弘道会が台頭し、6代目組長として司忍(篠田健市氏)が跡目を継ぐことに。
6代目体制になって以降は、弘道会はさらに勢力を伸ばし、関西地区にまでその影響力を伸ばしていった。
同時に、国内経済が落ち込む中、当然のごとく暴力団のシノギ(資金源)が低迷してきた。
特に関西は景気が落ち込みシノギが激減していた。
組員は「なんかいいシノギありまへんか?喰うていけまへんねん。」とぼやくばかりだそうだ。
反面、弘道会は中部や関東に触手を伸ばし、「山口組=弘道会」のネームバリューでシノギをかけて来て、弘道会の本部にまつわるシノギは、すでに6億円を超えていると言われている。

弘道会は、この勢いを借りて、山口組本部を名古屋へ移そうと画策、田岡組長以来の山口組の聖地であった神戸を捨てようと考えたのである。これにはさすがに関西のヤクザも反発を見せ始めていた。「このままやったら山口組は弘道会に乗っ取られる。」と危惧したのである。
そこへ次の組長の跡目相続問題が浮上して絡みだした。弘道会としては、「7代目も弘道会から出す」が悲願となる。しかし、当然のことだが関西の山健組も次期組長を虎視眈々と狙っている。

山健組は、3代目田岡組長に寵愛された山本健一組長以来、代々の組長を輩出し、「山健でなければヤクザは喰えない。」とまで言わしめた強力な武闘集団。現在の山健組井上邦雄組長は、次期組長候補に名前が挙がっていた。しかし、分裂の発端が、ここに起こった。
山口組のナンバー2である若頭の高山清司氏は、山健組の組長である井上氏(現山口組幹部)に対して、「井上を舎弟にする。これは6代目の言葉である。」と言い出したのである。
これは何を意味するか?
ヤクザの世界では、6代目組長兄弟分である舎弟に上がるということは、一見、出世のように受け取れるが、同時に次期組長の目がなくなったということを意味するのである。次期組長には現在の若頭を筆頭とする幹部にその資格があるのだから。
つまり、7代目を狙っていた井上組長(山健組)を舎弟に祭上げておいて、跡目の候補から外してしまい、7代目は、弘道会の現若頭である高山氏に継がせることを画策していたのだ。
井上氏にすれば到底、承知できない人事であり、ゆえに高山氏は、「何をいうとるんじゃ、これは6代目の言葉じゃ!組長の言葉に逆らうんか?」となった。

関西のヤクザにすれば、弘道会の勢力が益々強くなり、自分達のシノギが危うくなることは必至である。まして弘道会が山口組本部を名古屋へ移すとなれば、聖地神戸を撤退することになりヤクザとしてのメンツも潰れてしまう、と考えても不思議はない。
ここに弘道会と山健組を中心とする反弘道会グループの確執が表面化し、組を割る分裂騒動が始まったのである。弘道会としても、分裂は避けたいところである。しかし、ヤクザにはそれなりの流儀があり、組を割るものには制裁を加えて潰す!潰すことによって、潰した組のシノギを略奪するという構図である。
そして、8月27日に山健組など約10団体に絶縁状、破門状が発せられたのである。

~今回の山口組本部の処分

絶縁処分

山健組 井上邦雄

宅見組 入江 禎

池田組 池田孝志

寺岡組 正木年男

侠友会 寺岡 修

破門処分

毛利組・松下組・黒誠会・西脇組・雄成会・真鍋組・奥浦組・大志会

 

 

~つづく~

 

 

BOZZ(渡邉文男)

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