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『冷笑を耐えられない軽さ』~精神科医ヤブ

神戸の連続児童殺傷事件を起こした元少年Aが、つい先日『絶歌』という本の出版にこぎつけたということが話題に上がっていたが、なんと今度はホームページを開設したというではないか。

彼の一連の行動を、精神科医として一歩引いた目で見れば、「他者の痛みにここまで無頓着になれる人間がいるのか」と驚くくらいだが、自分自身も子を持つ親として考えてみると「頼むから早く死んでくれ」と思わずにはいられない。

これは何も、我が子が被害に遭ったことを想像した時だけの想いではない。もしも自分の子どもが、ただ人を殺しただけでなく、加害者であることを宣伝材料にして本を書いたりホームページを開設したりして、遺族の神経を逆なでし続けるようなことをするならば、私なら我が手で子どもを葬る。それが親としての責任である、とは言わない。それは私の親心なのだ。

元少年Aが犯した罪で、Aの親がいつまでも責められるのは酷であるが、彼が今現在も犯し続けている「被害者や遺族の尊厳に対する冒涜」を野放しにすることは、親としての心のなさを強く非難されても仕方がない。

そんな彼のホームページを見て、私は冷笑を禁じ得なかった。
『存在の耐えられない透明さ』
と題されたホームページを読みながら、彼は中学2年生から少しも成長していないのだなと感じた。当時でも軽かったであろう人間性も頭の中も、20年経って何一つ重みを増さなかったようだ。

そんなホームページにも、実は目をひくものがあった。Aが描いた絵である。たくさんアップされている絵を眺めていて、ふと研修医時代に出会った慢性の統合失調症のKさんのことを思い出した。Kさんは絵を描くのが好きで、特に龍の絵がお気に入りだった。何十枚となく描きためられた龍の絵は、どれも少しずつ違っており、Kさんは「どうだ」と言わんばかりに誇らしげに見せてくれたのだが、どこにもオリジナリティが感じられず、凝った絵ほどチープであり、正直つまらないものばかりだった。そのKさんと元少年Aの絵は、題材がまったく違っているのに、受ける印象が同じなのだ。

さて、これは大切なことであるが、Aの「他者の痛みに無頓着な自己顕示欲」が、本の出版やホームページくらいで鎮まるはずがない。むしろ今まさに、彼の分不相応に肥大した自尊心と溢れかえる自己顕示欲が化学反応を起こして、新たなる快楽の種を求めて動き出しているのではないだろうか。そんな不気味さがある。これが精神科のカルテであれば、こう記す。

厳重な警戒と観察が必要

 

ヤブ

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