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幕末のイケメンが最期に立ち寄った場所

政府は2024年に、20年ぶりにデザインを新しくした紙幣の発行をすると発表しました。新しい一万円札に描かれる渋沢栄一は数多くの企業の設立に関わり、日本の資本主義の父と呼ばれています。その渋沢栄一の養子となり、激動の幕末に数奇な運命を辿ることになった男の最期の足跡をたどってみました。NHK大河ドラマ【青天を衝け】で脚光を浴びた武士です。

幕末のイケメン渋沢平九郎(尾高家の末っ子)

弘化4年(1847)現在の埼玉県深谷市の下手計(しもてばか)で生まれました。お母さんのやえさんが栄一のお父さんと姉弟で、栄一とは7歳違いの従兄弟同士です。平九郎は幼いころからを学問や剣術を始め18歳の頃には剣術を教授するなど、名主の末っ子らしく何不自由ない暮らしをしていました。兄達の影響もあり、【尊皇攘夷(そんのうじょうい)の思想を抱いて自身も国事に奔走したいと夢みていたのです。【尊皇攘夷】とは、王と敬う尊王と外国人を追い払う攘夷論が結びついた思想。

明治維新により統治体制が崩壊

幕府軍は薩長連合軍に敗れ、江戸城は無血開城となりました。将軍・慶喜の汚名を晴らそうと旧幕府軍のひとつとして、新政府軍と戦った部隊、振武軍(しんぶぐん)の参謀を務めたのが渋沢平九郎です。

新政府軍は飯能まで侵攻し、「飯能戦争」(はんのうせんそう)が勃発しました。最新装備の新政府軍を前に勝敗は明らかで、振武軍はあっという間に敗れて離散。平九郎は落ち延び故郷を目指しますが、運命の分かれ道が訪れます。

生前最後に立ち寄った場所

峠の茶屋で休憩を取った平九郎は、茶屋の主人から落ち延びやすい道を勧められます。しかし、一刻も早く故郷に戻るためか、提案を聞かず予定していた黒山村(現在の埼玉県入間郡越生町)に降りる道を選択してしまいました。その道中、新政府軍の兵と遭遇し争ったものの観念。自刃したといいます。

幕末のイケメンが最期に立ち寄った平九郎茶屋と、自決之地では歴史に触れながら自然も味わえる感慨深い場所です。

情報提供&撮影:ガルエージェンシー埼玉川越

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