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札幌・ススキノ頭部切断事件 -被告人・田村瑠奈が無罪になる可能性

札幌・ススキノのホテルで男性(62歳)の頭部を遺体から切断し持ち帰った事件で逮捕・起訴された田村瑠奈(娘・殺人罪)、田村修(父・幇助罪)、田村浩子(母・幇助罪)の親子3人のうち、母・浩子の4回目の裁判が札幌地裁で開かれました。



田村瑠奈、小学校の卒アルより。

 

初公判(6月4日)は札幌地裁に行ったのですが(その時の記事はこちらhttps://tanteifile.com/archives/56694)、今回は時間が取れずこの裁判を傍聴した知人から詳しい話を聞いて記事を書くことにします。

端的に、私は、殺人罪に問われている田村瑠奈が心神喪失者として無罪になるのではないかと考えています。「人を殺したんだから罪を償うのが筋ではないか」という反論はごもっともです。ここで、どうして心神喪失者は「無罪」なのか、日本の刑法の仕組みに触れておきます。

日本の刑法は、被告人への「公正な応報」(=適切で公平な罰を与えること)を目的としています。この原理を「応報刑論」と呼びます。もし被告人が心神喪失者なら、必然的に、殺人を犯したことに対する責任を認識できません。責任というのは「違法性」や「善悪」を認識する能力ですから、いわば、「悪いことと分かってて罪を犯した」ことが立証できなければならないんです。このような、責任を認識する能力を「弁識能力」といいます。つまり「弁識能力」がない人にいくら罰を与えても「応報刑論」の原理に合いません。「弁識能力」がある人にでないと「応報刑論」の原理が成立しない、これが刑法の主な論理構成です。

さて、なぜ田村瑠奈は無罪になる可能性があるのか、裁判の内容を引用しながら考えていきます(かなりセンシティブなのでお気をつけください)。

田村瑠奈にはいくつかの人格が宿っており、今回は「シンシア」という女性が出てきたようです。「シンシア」は、彼女の「妹」が田村修(父)と田村浩子(母)に殺されたため、ふたりを強く恨んでいます。以下のストーリーでは「シンシア」という女性が田村修(父)をひどく罵っていることが分かります。

だけど、「シンシア」が両親に殺されたと主張する「妹」というのが、実は田村瑠奈であることが分かります。つまりストーリーのなかで田村瑠奈はすでに殺された人間のようです。要は、「生きている」田村瑠奈が「シンシア」を演じ、「妹」(=つまりは田村瑠奈)を殺したといって両親を責め立てています。頭が混乱してきますよね。

 

「シンシア」(=田村瑠奈の音声から)

I do revenge.I kill everyone.I wish,I want, and it.You kill me. I kill you.Which you choose?

訳)私は復讐する。みんな殺す。そう願ってるしそうしたい。あなたが私を殺すか、私があなたを殺すか、どうしたい?

どうしてここまで田村瑠奈は父を恨んでいるのでしょうか? その理由は以下の会話で推察できます。すなわち、恨みは、「妹」と、「妹」が唯一の信頼できる存在であった「シンシア」のふたりが宿っている田村瑠奈の精神状態を案じた田村修が、精神科の治療の一環として、「シンシア」と「妹」を統合させ、本来の田村瑠奈という人格に帰結させようとしたことに由来するようです。以下のやり取りを確認してみてください。

 

「シンシア」(=田村瑠奈の音声から)

妹を殺し責任も取らないくせに。お前がよお、妹を殺してさあ、唯一の、唯一の味方だった私が妹と一緒にいたのによお。ちょっとでも力をつけておめえらを殺す。ずっとそう信じて生き延びたんだよ。私の妹と私は。で、いつ連れて行くんだよ(精神科に)。

どう判断しても、田村瑠奈の精神状態は錯乱しており、多くの人格が宿っている上に、本来の自分は「殺された」人間であると認識していることが分かります。このような精神状態の人間に、先ほど述べた「弁識能力」(=責任を認識する能力)を認められるはずもないように思えるのです。今後も、裁判から目が離せませんね。

 

 

 女探偵 堺浄(さかい・きよら)

政治家を経て、生成AIやITを駆使し過去の事件を分析する女探偵に。社会科学領域の研究者(慶應義塾大学大学院を経てPh.Dr.)でもある。掘り下げたいテーマは、女性はなぜ政治の世界で「お飾り」になるのか、日本の「タテ社会」と「ムラ社会」は不変なのか、内部告発は組織の不条理に抵抗する最終手段なのか。

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